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一般質問。そして委員会審議。



 今回は大津市議会史上最多の32人の議員が、本会議での一般質問に臨みました。
 私も60分間をフルに使い、一般質問を行いました。




 今回も質問の構成・作成にあたっては、1か月以上前から事前に十分な調査を行い、市民の生活向上のために、持ち時間をもっとも有効に活用できるような構成、文言精査に努めました。今回で実に初当選以来、30回連続の一般質問登壇です。

 委員会での議案質疑と同じく、市長ら特別職が答弁に立つ本会議での一般質問は市政全般又は市長の政治姿勢に対する問題指摘をする場として、大変重要なものと考えています。60分間と言えば、相当な時間を与えられているように感じる方もいるかもしれませんが、実際には市政課題の多さや、不毛なやりとり(聞いていることに、答えてくれない)などを勘案すると、とても60分間では足りません。そうした中で、どうすれば市民のためにもっともよい答弁が得られるのかを日夜考え、質問提出直前期はこれまでも文字通り全身全霊をかけて取り組んできました。

 今更とやかくは記したくありませんが、一般質問直前になって、私の一般質問に関連する市政統計情報が急遽、書き換えられる(訂正される)など、ありえないことが今回もありました。この情報は、いろいろ考察した結果、問題があるのではないかと考えてきたもので、それを質問提出後に、「間違いでしたー」と、あっさりと訂正してくるのは、どう考えても問題があると考えます。この質問を含めたために、逆に質問項目から除外した重要な課題もあります。
 (この市政統計情報は、8月半ばに公文書公開請求をかけておりますが、ひとつの期限となる2週間では出てこず、1か月以上経った現在も受け取れていません。統計情報であるにも拘わらず、なぜこんなに時間を要するのか、理解不能です。)

 また、移動時と登壇時に数度、市長の様子を確認しましたが、残念ながら、関係ない資料を開き見ていました。エクセルで作成されたような表枠組みの中に文字が書かれており、枠内は黄色い塗りつぶしであったので、「これは一般質問の資料じゃないな」というのが、一目で分かりました。(答弁資料は文字だけです。時期や感覚的には、主要事業ヒアリング関連の資料でしょうか?)

 本会議での一般質問は、市民から付託を受けた市民の代表者である大津市議会議員が、市長に対して、市政課題についてただす場です。市長が部下である部長をして答弁させることはできますが、私は大津市長に対して市民代表の立場で聞いているのです。
 そうした場であるにも拘わらず、市長はそしらぬ顔で、違う資料に目を通しているという状況は本当に耐え難いものがあります。(どれだけこの質問に思いを込めて登壇しているのか、どれだけ準備に時間を費やしてきたのか…)
 そうした感情を抱きつつも、まさか机をバンバン叩いて相手を威圧するようなことはしませんが、本当に残念な気持ちで、私は質問に立っていました。こういう光景を、市民の皆様は知らないのではないでしょうか?こういう人をどのように形容すればいいのでしょうか?私には品性とされる範囲内において適当な言葉が思い当りません。
 再来年1月の大津市長選挙では、絶対に越直美さんは落とさないといけません。

 ちなみに以前も市長は、英語でなにやら書き物をしていたことがあり、他議員から問題指摘をされていました。市長としては、自分が興味関心ない問題が扱われている時間中は、時間を有効活用?して、違う事務作業を進めたいのかもしれませんが、私はそうした姿勢は断じてあってはならないと考えています。

 質疑応答に関しては、6項目行いましたので、項目ごとに解説記事を書いていきます。
 

 * * *

 本会議での一般質問に引き続き、9月通常会議に提出されている補正予算議案ならびに一般議案の審議を進めています。



 補正予算の審議では、私の所属する分科会では、公民館自主運営モデル事業(和邇学区分)や、競輪場跡地活用貸付料収入、堅田観光駐車場ブロック塀撤去等工事などの案件があり、それぞれ質疑を行いました。
 一般質問で懸念を募らせた伊香立中学校敷地排水処理に係る費用負担案件に関しては、同じ会派の山本議員にお願いして取り上げて頂き、協定書案を示して頂けることになりました。(昨日、案を確認しました。)後年に亘り真野学区や周辺の市西北部地域で問題が生じないように、適切な契約や対応を行政には求めたいと考えています。

 また一般議案については、いくつかありましたが、特にびわ湖競輪場跡地の利活用に関する土地無償譲渡&貸付に係る議案については反対しました。20年、30年に及ぶ契約であり、それほど将来のことを考えるのであれば、防災面の課題解消(中消防署の移転先など)や、当該地の市場性を優先して検討すべきだと考えます。
 中消防署移転先が決まっていない中で、仮に新たに民有地を購入しようと思えば、数億円の費用がかかります。有力な移転先候補地であった競輪場跡地の利活用について、ストップをかけられる最後のタイミングであったと考えます。委員会審議では可決されましたので、本会議で覆ることはあまり考えられませんが、将来の大津のことを考えて適切に判断したいと考えています。

 ちなみに、当該地利活用に関しては、事業者からの提案時のイメージパースと、現在考えられている平面図に相当な違いがあるように見えます。



(業者の入札提案時のイメージパース)



(現在考えられている平面図)



 行政が言うには、駐車場の位置を変えたことや、平面図なので分かりづらいが実際はもっと緑が多く見える、ということらしいですが、そうは思えません。
 入札時にはイメージを良く見せようとするのは営業努力の範囲内だとしても、事業コンセプト「公園の中の商業施設」は、平面図からはとても感じられません。どちらかと言えば「商業施設の中の公園」のように私には思えてきます。
 入札後にガラリとイメージを変えていいというのであれば、結局あの審査は妥当だったのかということまで検証しなければならなくなります。最初から結論ありきだったということはないと信じたいですが、これだけ事業コンセプトから外れた平面図を見ると、私としては疑念を抱きます。単なる杞憂なのでしょうか。



フジイテツヤ





支所統廃合に関する雑感3




 人間と人間ではない物体との違いは、なになのでしょう。ロボットにも心があれば人間なのか、または脳髄が移植された意識ある機械であっても単なる物体なのでしょうか。


 私の息子がビデオに撮って楽しみにしているテレビ番組に、「仮面ライダー ゴースト」があります。その主題歌には、「われ思う故に われ在り」というフレーズがあります。

 結局のところ、私たちが、みんなそう思うから、私たちはそう思うだけで、実際はその実体、実存は虚構であることも多いような気がします。 
 例えば、ビットコインはブロックチェーンによって信用(credit)が形成されて、みんなが価値あるものだと思うから、価値あるものとして存在しているだけで、実体は単なるデータです。これは貨幣にも言えることで、単なる紙切れをみんなが、価値あるものだと認識しているからこそ、貨幣でパンもスープも買う事ができるはずです。
 国家や地方公共団体なども同じで、ベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体」として、国家などの存在を造られたものだとしました。世の中のみんなが、行政に対して社会的契約の下で権限を付与しているからこそ、政府や地方自治体も存在するわけだと思います。

 私は、政治活動を8年程やってきて、ひとつの懐疑を抱いています。
 「行政改革」というのは、本当に改革なのだろうかと。


 「行政改革」に、世の中の人はどのようなイメージや、共通認識を持っているのでしょうか。
 なかなか定義づけするのが難しいのかもしれませんが、政治思想の背景としては、やはりジョン・ロックに起因する自由主義があるのだと思います。つまり、個人の生命財産は自分のものであり侵されるものではない、だから公共が果たすべき役割というのは、できるだけ小さくあるべきで、税金も少なく、その分、公共サービスの量も少なくというものです。
 これに対して、リベラリズムは、社会保障が重要で、誰もが安心して過ごすことができるように、国民皆保険制度の確立や医療体制の充実などを公共が担うべきというものだと思っています。
 この自由主義とリベラリズムの軸があるとするならば、「行政改革」というのは、どちらかと言えば、自由主義に近づくことが、行政改革なのだと思われているように感じます。つまり、公務員数・給与を削り、行政コストを削減し、できるものは民間に委譲していくという、いわゆる「小さい政府志向」です。


 この共通認識としての「行政改革」は果たして、ほんとうに「行政改革」なのか?と最近、強く疑念を抱きつつあります。いま、世の中では「小さい政府志向」であることが「行政改革」と思われているだけであり、ほんとうの「行政改革」はこれであっているのだろうかと思う訳です。

 支所統廃合の議論も、結局のところ、「行政改革」の枠内で、検討が展開しています。
 私自身は、どちらかと言えば「小さい政府」は嫌いではありません。しかし、行政はなにのために存在しているのかという自問をするなかで、やはり弱者のためにあるのだと思う訳です。志向としては「大きい政府」なのかもしれません。いや、政府(行政)に頼らなくとも、本来はコミュニティ・地域の中で、公共的なものを担うことができるのであれば、「小さい政府」を実現しながらも、「大きい政府」で提供できる、善良な生活をひとりひとりが享受できるようになるのではないかと思うところです。

 
 大津市行政が進めようとしている支所統廃合の検討や議論にあって、大変な違和感を覚えるのは、行政改革をすすめるために、市民に負担を強いて(あまり地域やコミュニティのことは検討されずに)いることです。
 本当は、コミュニティ(地域の公共性)がそれなりに育っていくことによって、自然と公共サービスの必要性がなくなってくるように感じられるような状態が、ふさわしいあり方だと思うのですが、いまの越直美さんの考えは、そうした姿勢ではありません。

 
 「あとは野となれ 山となれ」

 行政サービスの撤退による代替サービスの検討というのは、一見、住民に寄り添った考え方に見えますが、実際はコミュニティや地域の公共性の発展につながるかは別で、あとから振り返ると「下半身から下は生命維持装置」だったと評価されるのではないかと強く感じます。


 人間か?ロボットか?または生きてる機械か?
 この線引きが難しくなる50年後、100年後、大津市では、まちづくりの材料である各地域の文化やコミュニティは残っているのか。文化というものも、ほんとうは虚構でありますが、それを成立させているのは、そこに住む人、その地域を愛する人が、それを「文化」と思えているかどうかだと思います。
 コミュニティの終わりの始まりが、支所の統廃合にならないように、新しい時代のコミュニティ意識の醸成こそが優先されるべきだと、わたしは思っています。単に支所統廃合に反対しているわけではないとご理解頂ければ嬉しいです。


フジイテツヤ




 

支所統廃合検討に関する雑感2



 公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。
 所得、権力、機会などの分配の仕方を、それ一つですべて正当化できるような原理あるいは手続きを、つい探したくなるものだ。そのような原理を発見できれば、善良な生活をめぐる議論で必ず生じる混乱や争いを避けられるだろう。
 だが、そうした議論を避けるのは不可能だ。(後略)
 (『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル,早川書房 2010 335-336頁)




 大津市行政が考える市民センター機能等あり方検討における原理は、「住民自治の確立」と「持続可能なまちづくり」の二つであります。




 「持続可能なまちづくり」という、一見分かりにくいキーワードを挙げています。ひと、もの、カネが経営資源であるならば、それらが持続可能に循環するまちづくり体制をつくりあげることが、「持続可能なまちづくり」に資する活動になるのかもしれません。

 市民センター機能等あり方検討における議論、とりわけ支所統廃合における議論で、よく市長ら行政府の人間が言うのは、支所を集約して行政コストをカットする、効率化するということです。確かに、無駄なものはスクラップしていけばいいと思いますが、そこには無駄ではないと感じている人がいることも忘れてはいけません。

 そもそも行政はなぜ、存在するのだろうかとも思います。
 公共福祉の向上は、市街地に住む人、五体満足な人、裕福な人のためにあるのではなく、不便な場所に住む人や、障害者などの社会的弱者、貧しい人のためにこそ存在意義があると思います。(本当に秩序維持のための夜警国家でいいという方とは意見が合わないと思いますが)
 現在、企業でさえ株主や経営者のためだけにあると考えているのは時代遅れで、社会の中の企業という立ち位置なくして、企業の社会的責任、CSRなどは論じられるべくもありません。いわんや、公共福祉のために存在する行政府は、よりいっそうそうした傾向が強いと思います。



 LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。



 上の文章は、杉田水脈衆議院議員の寄稿文の抜粋です。
 この寄稿文に嫌悪感を抱く人ならば、支所統廃合の問題にも理解を示して頂けるのではないかと感じています。

 生産性や効率性という原理だけで物事を決められるのであれば、社会は本当に単純ですが、そうではありません。支所統廃合で効率性だけをたよりに、不便地の支所廃止に賛同するなら、障害者や高齢者の切り捨ても仕方ないと思われるかもしれません。そういう世の中で仕方ないというのなら、返す言葉はありませんが、自分が70歳になったとき、または障害を負った時、そのしっぺ返しは自分に返ってきます。公共の果たす役割というのは、効率性や生産性だけでカバーできるものではないはずです。

 
 支所統廃合は「木」に過ぎません。
 公共福祉の向上、アリストテレスの言葉を借りるならば、善良な生活を人々がしていけるような取り組みが「森」だと言えます。

 支所統廃合は確かに効率性の観点から言えば、統合の対象になるのかもしれません。
 しかし、それは「森」全体を支える一つの重要な「木」かもしれません。 
 その「木」がなければ、森全体の生態系に影響を及ぼし、「森」そのものが衰退してしまうかもしれません。持続可能なまちづくりの拠点である支所機能を含む市民センターを、別の形に変えることは、まちづくりの源泉をとりはらってしまうことになるのかもしれません。



 市民センターあり方検討は、単に公共施設マネジメントという「効率性」の問題の領域の問題を越え、将来の大津市のまちをどのような姿にしたいのかという領域も含んだ、検討であるべきです。
 まさに、「公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。」なのだと思います。

 
 支所統廃合を単にコストカットの観点からだけ、見ているのであれば、別に大津市に住む必要もありません。もっと利便性が高く、行政効率がよい町に移り住めばいいだけです。あまり、これまでまちづくりの担い手になった経験がない人にとっては、大津でなくても、生活が便利であれば、どこでもいいのかもしれません。しかし、それは持続可能なまちづくりの両立するのか、住民自治の確立と両立するのかは、疑問に感じます。
 
 より広い観点から、大津のまちづくり、支所統廃合の問題を考えていかねばならないのだと思っています。


フジイテツヤ





支所統廃合検討に関する雑感


 他の動物にしてみれば、人間はすでにとうの昔に神になっている。私たちはこれについてあまり深く考えたがらない。なぜなら私たちはこれまで、とりたてて公正な神でも慈悲深い神でもなかったからだ。ナショナルジオグラフィックチャネルの番組を見たり、ディズニーの映画に行ったり、おとぎ話の本を読んだりすると、地球という惑星には主にライオンやオオカミやトラが住んでおり、彼らは私たち人間と対等な存在だという印象を受けてもおかしくない。(中略)だが現実には、動物たちはもうそこにはいない。私たちのテレビ番組や本、幻想や悪夢は相変わらず動物で満ち溢れているが、シンバやシア・カーンや大きくて悪いオオカミは地球から姿を消しつつある。この世界に住んでいるのは、主に人間とその家畜なのだ。
 (「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ,河出書房新社 2018 93頁)



 人間以外の動物から人間を見たら、人間は神に見えるかもしれない。
 人は時々、鳥を見て思います。「あんなふうに、空を飛べたらな。」
 そんなふうに思われながら、飛んでいる鳥は、人間を眼下に見ながら、どのように思っているのでしょうか。

 立場や視点によって、見え方は全然違います。
 
 
 私が1歳から11歳まで過ごした大津市の平野学区では、びわ湖岸にあり、琵琶湖総合開発によってマンション群が立ち並びました。西武百貨店から膳所駅にかけて多くの人通りがあり、幼心に、「なんでも近くにあって便利でいいところだ」と感じていました。

 12歳になる目前の小学校6年生の夏。大津北部の真野学区に引っ越してきました。当時は大津市と志賀町の合併前だったので、真野が大津市の最北端の町です。真野北学区ができたかできなかったという時期で、びわ湖ローズタウンには多くの新住民が移住してきたものの、私が住んだ真野学区は、農村という言葉がぴったりの田舎町でした。堅田駅西口はもちろん田んぼで、堅田方面に行けばダイエーや平和堂、びわ湖タワーなどがあり、それなりに遊ぶ場はあったように思いますが、それでも平野学区から来た私としては、不便さと田舎っぽさを感じていました。


 なぜ市民センター機能等あり方検討、なかでも支所統廃合について、大津市のそこらじゅうで反対意見が出ている一方で、市の素案に対して賛同や、賛同まではいかずとも積極的に反対しない(どちらでもいい)と考える人がいるのかと言えば、「立場や視点が違う」ことにあるのだと考えます。

  
 もちろん支所を使ったことがない人にとっては、支所は不要で統廃合すべきだと思います。
 支所を使ったことがある人でも、回数が限られていたり、統廃合される支所に普通にアクセスできる人たちや世代にとっては、統廃合されてもなんら問題ないと感じるでしょう。

 しかしそうでない人もいます。
 それは高齢者に限らず、障害者、または足腰が悪い人や、慢性的に健康がすぐれない人、もしくは自家用車がない人や場合によっては自転車を運転できない人なども当てはまります。総称すれば「社会的弱者」と言えるかもしれません。

 「社会的弱者」の人の立場から見ると、支所という場所は、物理的なアクセスのしやすさは非常に重要であり、同時に心理的な拠りどころとなっていると感じます。逆に、「社会的弱者」ではない人の立場では、支所の問題はどうでもいいと感じられるかもしれません。だから、反対ではない⇒統廃合賛成、という考えになるかもしれません。




 グループ間相互の理解促進は難しいと思います。
 人間は鳥になったことはないし、鳥の気持ちになることはありません。家畜になったこともないので神のような存在である人間を畏怖する気持ちも分かりません。
 飛行機に乗れば、少しは鳥の気持ちになることもできるかもしれません。しかし、飛行機に乗って鳥の気持ちを理解しようという意思がなければ、いつまでもたっても、人間は鳥の気持ちを慮ることもありません。

 
 私自身、支所統廃合の議論にあっては、基本的には反対の立場でいます。
 フル機能を備えた「支所」でなくとも、機能を限定した「出張所」としてでも、市職員が常駐する行政窓口の存在が地域には必要だと考えています。

 それは経験によるものかもしれません。
 平野学区に住んでいる人は、きっと真野学区のことを理解できないかもしれません。しかし、私はその両方を経験しています。市街地に住んでいる人にとって、支所の存在意義というのは、そんなに高くないかもしれません。しかし、縁辺部や市街化調整区域に住んでいる人にとっては、支所が地域からなくなることが地域衰退のはじまりと思っても仕方ありません。地域活性のための最後の砦が支所なのかもしれません。

 または私は数年前に右膝の半月板を損傷し、約1年間にわたり懸命にリハビリに努めたものの歩行困難であり、少しの段差も大変大きなハードルに感じました。その後も現在に至るまで、鍼灸整骨院に通い、患部の痛みをとるために、最善の努力を続けていますが、痛みが完全になくなることはありません。常に足の痛み、それが昂じて身体全体の不調と隣り合わせです。
 そうした経験は、高齢者や足腰の悪い人の気持ちを理解する一助となりました。鳥にはなれませんが、飛行機に乗って、鳥になったような気分です。
 確かに、高齢者の方々がいうように、すぐ近くに支所があってアクセスできる環境というのは必要な気がします。あんしん長寿相談所によるアウトリーチ型のサービスが提供されようとも、介護だけではなく、様々な生活の悩みや、相談できる心理的距離がある安心感は、重要だと思うのです。

 
 行政は、様々な立場の人から意見を聴き、意見を尊重しなければなりません。
 それは単なる我がままではなく、心からのニーズなのです。
 視点が違えば、見え方は全然違います。行政自身が、ある特定の視点からでしか、物事を視ないのであるとすれば、それは市民の公共福祉の向上においても、ある特定の視点からでしか見れていないことを意味します。

 また同時に、支所統廃合に反対の立場の人と、賛成の立場の人も、それぞれが、相互の立場や視点を理解することも必要なのかもしれません。どちらかと言えば、「社会的弱者」ではない人が、「社会的弱者」と呼ばれる人のことを、理解しようとすることが求められるように思います。そうなることで、支所統廃合による合理化、経費節減が果たして妥当なのか、あらためて内省する機会になるはずで、自分が高齢者になったり、または障害を負ったり、または半月板を損傷していつなんどき歩けなくなるか分からない状況になったとしても、行政がそこにある意義を感じられるようになるかもしれません。
 誰しもが、明日、歩けなくなるかもしれず(今日、たまたま何事もなく歩く事ができるだけであり)、持続可能な人間生活を考えるならば、支所統廃合の議論の見方も、変わってくるかもしれません。


 最近のブログ記事を読んでいただけるのであれば、支所統廃合に反対の視点では、どのように物事が見えているのか、そうしたことを知っていただきたいと考えています。
 
 

フジイテツヤ





行政手続きの完全な電子化(電子申請化、必要書類のID化)はいつ?



 市民センター機能等あり方検討の過程でも、ひとつの重要なポイントになっているのが、行政手続きの電子化の時期です。
 今記事では、行政サービスの電子化の時期について、文章ばかりになりますが、取り上げたいと思います。
 

 行政手続きの電子化。新聞やネットでは一般的に「電子政府」と呼ばれることが増えてきているものですが、まだまだ一般的には馴染みあるものではありません。
 いわば、これまで結婚や住所変更、出産・死亡、年金や介護などの申請に、役所にわざわざ出向いて申請書類を提出しなければならなかったものが、電子化、つまりインターネット上のオンラインで可能となるものです。又は、住民票や印鑑証明などの各種届出の添付書類として必要な証明書等の書類をマイナンバーカードに内蔵して、オンラインサービスと連携して、実質的にそうした証明書等を廃止しようという取り組みです。

 支所業務の中で、証明書等発行業務や、各種行政手続きが、主要な取扱い業務である中で、仮にこれら行政サービスの電子化が、急激に進むのであれば、支所の必要性は相対的に低下し、市素案で述べられていたような「行政相談」の巡回や、電話やネットでの相談などで、事足りるようになるかもしれません。

 世界的に有名となっていますが、エストニアなどは電子政府化を進め、いまや大半の行政サービスを電子化しています。日本でも、徐々にこうした行政サービスの電子化は進められてきており、大津市でも一部行政サービスの電子化はなされており、2018年9月現在の取扱いサービスは、
・人間ドック利用助成金交付申請
・集団特定健康診査申込
・多胎児家庭育児支援事業利用申請
・水道・ガス 開栓の申し込み
・水道・ガス 閉栓の申し込み
・模擬店等の食品取扱届出書
・犬の死亡届
・犬の登録事項の変更届
・浄化槽廃止届出書
・浄化槽管理者変更報告書
・新たな公共施設への提案箱
・市長への提言箱
が、電子申請が可能となっています。

 しかしながら、支所が担当している以下の事務のうち、電子化しているものはほとんどありません。

【大津市の支所が担当している事務】
1  地域の実情の把握及び調査に関すること。
2  自治会及び各種団体との連絡調整に関すること。
3  市税に関する申告書等の受付に関すること。
4  市税、国民健康保険料、後期高齢者医療保険料、住宅家賃その他収納金の
   取扱いに関すること。
5  市税に係る課税証明書及び納税証明書並びに固定資産課税台帳記載事項証明書の
   交付申請の受付及び当該証明書の交付に関すること。
6  固定資産税関係台帳の閲覧に関すること。
7  原動機付自転車及び小型特殊自動車の標識の交付及び返納に関すること。
8  戸籍及び住民基本台帳の届出の受付に関すること。
9  印鑑登録に関すること。
10 出入国管理及び難民認定法に基づく事務に関すること。
11 埋火葬許可に関すること。
12 死産届に関すること。
13 戸籍の謄抄本、住民基本台帳、印鑑登録等に関する各種証明書の交付申請の受付
   及び当該証明書の交付に関すること。
14 自動車臨時運行に関すること。
15 生活保護法による傷病届の受理及び診療依頼書の交付に関すること。
16 児童手当の受付に関すること。
17 国民健康保険、後期高齢者医療、国民年金及び医療費助成の資格取得、喪失等の
   届出及び諸給付の申請の受付並びに被保険者証の交付に関すること。
18 介護保険に係る要介護認定及び要支援認定の申請の受付並びに受給者資格証明書の
   交付に関すること。
19 支所庁舎の維持管理及び備品の保管に関すること。
20 日赤募金に関すること。
21 交通災害共済の受付に関すること。
22 自衛官募集に関すること。
23 公印の保管に関すること。
24 文書の掲示に関すること。
25 その他市長が指示する事項

 

 市役所の中の部署でいえば、市民税課や資産税課、戸籍住民課、介護保険課、保険年金課、自治協働課などが提供する各種サービスを広範に担当している、現在の大津市の支所では、窓口職員は臨時採用で給与も10万円台であるものの、大変専門性が高く、且つゼネラリスト的な役割を担っています。

 もし支所が担っている広範な事務を、電子政府化できるのであれば、支所機能の統廃合が進んでもいいのかもしれません。しかしながら、現実的には、その方向性にあるとはいえ、一足飛びに行政サービスが来年から電子化されることはありません。

 その最大の障害になっているのは、「マイナンバーカードの普及状況」です。
 現在、日本全体でも11.5%(2018年7月1日現在)の普及率です。
 
 このカードを持つことで、コンビニで各種証明書が取得可能になったり、オンライン申請が可能になったり(現在はほとんどの行政サービスはオンライン申請できない)、保険証や印鑑登録証を一つにまとめられたりというメリットはありますが、実際問題、それほどメリットを感じません。各種証明書の発行も毎月のようにするものでもありませんし、オンライン申請もほとんどできない(大津市では電子申請可能なサービスがあまりない)ので、メリットを感じないのです。

 鶏(電子政府化)が先か、卵(マイナンバーカード取得)が先か?
 この言葉は、先月行政視察のために伺った中野区役所の職員の方が言っておられたものです。
 
 東京ではいち早く、電子申請可能な行政サービスの拡大に努めておられますが、それでもマイナンバーカードの普及率は10%少しとのことでした。
 なぜ行政サービスの電子化を進めているのに、マイナンバーカードの普及率につながらないのか??ーーそれは、「公的個人認証」と呼ばれる手続きが必要になるのですが、少し説明に行数を要するので簡単に書くと「めんどう」なんです。

 この「公的個人認証」が必要であることから、行政サービスの電子化だけでは、なかなかマイナンバーカードは普及しないのだと思います。

 そうした中でも、一体どうすれば、マイナンバーカードの普及につながるのかは、「電子マネー決済サービス」が搭載されるか時期に関係してくるのだと考えられます。

 納税、証明書発行料金の支払い、水道ガス等の公共サービスの使用料支払いなどが、マイナンバーカードで一元的にできるようになれば、わざわざ書類を書く手間も省けるし、手数料をわざわざ現金で支払う手間もなくなるし、大変便利になると思います。つまり、単に証明書を発行するためだけではなく、「マネー決済」をカードに含めることで、一気に利便性が高まることが考えられます。

 それでは、いつ、公的個人認証や、マネー決済も含んだマイナンバーカードが登場するのでしょうか。

 読売ONLINEの本年8月9日記事によれば、スマホに公的個人認証キーをもてるように、来年の通常国会に法案提出予定とのことです。

 仮にこの法案が成立すれば、10%前後のマイナンバーカード普及率も、5年後には20、30%になるかもしれません。
 しかし一方で、マイナンバーカードが普及しても、同時期に、行政の電子申請化(各種証明書の発行等が電子申請で可能となるetc)が進んでいなければ、結局のところ、宝の持ち腐れとなります。そのため、マイナンバーカードの普及率は高まらないと考えられます。

 つまり言えることは、支所機能の統廃合の代替サービスとして、「電子申請」を含めようとするならば、大津市行政は、こうした行政サービスの電子化を同時に進めなければなりません。
 いつ可能になるか分からないのに、「証明書発行はネットで可能になりますから」と、言うのは、どうなのかと感じます。少なくとも、「いつまでに電子申請が可能になるのか」を明確にしてから、支所統廃合による代替サービスとして提示してもらいたいと願うものです。

 そしてもう一つ忘れてはならないのは、電子化しても、バックヤードの事務量はそんなに減らないということです。窓口で申請されるのも、または郵便で申請されるのも、もしくは電子上で申請されるのであっても、結局は、誰かが発行作業・郵送作業等が必要となってきます。
 支所業務の集約化にはつなげられるのかもしれませんが、コストの面では、電子申請化は、それほど大きな合理化にはつながらないのかもしれません。

 (文章ばかりになってしまいました。読みにくいと思います。申し訳ありません)


フジイテツヤ







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