京都大学公共政策大学院に通って③。

ホームブログ>京都大学公共政策大学院に通って③。


京大公共政策大学院 出身議員

 京都大学公共政策大学院に関する事柄をまとめてきました。もっとも自分にとって良かったことは、やりたいことがある程度、明確になってきたということです。

 古人云く「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」

 今更とも言えますが40歳を目前にして、ようやく「この道でやっていこう」というものがぼんやりと見えてきたような気がしています。20歳代前半から雇用問題を中心に取り組んできました。ホームレス支援や自身がアルバイトを通じて成長できた体験をもとに学生アルバイト紹介事業を行った大学時代の経験がベースにあります。そして初職で経験した人材派遣と人材紹介の営業職の経験により社会的課題を感じ24歳で起業。リーマンショックを経て32歳で市議会議員に立候補。一貫しているのは、若者のキャリア支援です。
 
 実は大学院では2年生の7月に「研究論文」をやるか・やらないかの選択をすることになります。どうせならやりたいと思い、私は研究テーマ案を提出したのですが、その時のテーマが『「総与党体制にある地方議会の内部構造」~地方議員が統治パフォーマンスに与える影響分析を通じて~』というものでした。

 当時提出した研究論文の動機は以下のものです。

◯果たして地方議員は誰がなっても一緒なのか?
 都市部での少数野党の参入や国政野党の農村地域への進出に伴う普遍的プログラムの揺らぎによって、地方議会にあっては、首長や執政機関も組み込んだ「票と個別利益の交換関係」にあるクライエンタリズムの構造の中で総与党体制が成立しているとされている。
 こうした体制の下、政策前決定段階において議会の存在が一定考慮されることや、議案への議決権や修正権を人質として与党議員の政策・予算要望がなされたり、また一定の制約となりうることは、議会のパフォーマンスとして意義あるものだと考えるが、一方で総与党体制の中で行われる不透明な政策決定過程は有権者の政治不信を助長することに繋がっているように考える。議員や議会の活動(インプット・アウトプット)が、どのように統治パフォーマンス(アウトカム)に影響を与えているのかも不透明である。
 個々の議員アクターが行う行動と統治パフォーマンスとのロジックモデルが不透明な政策決定過程は、誰が議員になっても一緒ではないかという意見につながるように感じる。
 本研究では、総与党体制であると一般的に論じられる地方議会の中で、特に体制枠外にいる地方会派を中心とした議員アクターの存在や行動が、執政機関や議会内部にどのような影響を与え、最終的に自治体統治パフォーマンスの向上にどのようにリンクするのかを事例研究により検証したい。可能であればデータを用いて実証分析を行い補足としたい。本研究の成果がひいては有権者が地方議会の内部構造を知り、議員を選択する際の材料となる一助としたい。


 議員1期目の時は1人会派でやってきました。
 議員2期目に入って、谷議員・山本議員の了解を得て3人会派を組み、途中で自民党に入る時も2人の議員には受け入れてもらい、その後、党拘束がかかるような案件に置いても柔軟に助けてもらいました。

 しかしながら、時おり耳にする声としては、「大きいところに入ったほうが自分のためにもいい」「保守本流に入らないと地域のためにならない」というものや、「反対や追及ばかりしていてはダメだ」という趣旨のものです。
 大きな会派に入らなくても地域要望を実現できていることが最近、地域の皆様にもわかってきていただいて、かつてのように「大きなところに入らないと地域要望が実現できない」という声はなくなってきていますが、それでも「保守本流でないとダメだ」という声はあります。

 地方議会は、合議体であり、また予算編成権も執行権もありません。だから、市長に寄って要望したり、政策提言を通じて予算に入れてもらい実行してもらうのが議員の役割の一つであることも否めません。しかしそうであるなら、誰が議員になっても一緒じゃないだろうか?地域の代表、団体の代表として市長に声を届けるだけなら誰でもできそうにも思います。
 そもそも議員の仕事ぶり(パフォーマンス)を評価する指標というものはありませんし、どういった能力・行動が、パフォーマンス(市民生活の向上というアウトカム)につながるのかという関係性もよくわかりません。ブラックボックスです。
 果たして、一般質問や委員会質問は意味があるのことなのか?本会議で行う討論は意味があるものなのか?そもそも政策提言に実効性はあるのだろうか?
 誰がなっても一緒なら、議員の必要性は否定しませんが、私でなくてもいいのではないだろうかとも思うわけです。そうした思いを胸に、研究論文のテーマ設定を行いました。

 しかし考えました。地方議会の構造のことを研究したところで、それを変えるのは難しい。
 そもそも私自身は地方議会の構造を変えようと思い、大学院に入ったのではないんじゃないかと考えました。

 改めて自分のライフワークを見直しました。
 そして最終的に研究したいテーマを設定しました。やはり雇用問題であり人材育成の問題でした。今の市議会議員の立場でこの研究テーマを深めたとしても、それはすぐに知見を活用することはできないかもしれません。しかし、国や広域自治体の政策に将来的に関わっていく中で、自分が大学院で学び深めた知識を生かしていけるのならば、選択するテーマは雇用問題以外にないだろうと考えました。

 改めて9月に提出した研究論文の動機付けは以下の通りです。

 1993年から2005年までに新たに就職した世代を「就職氷河期世代」と一般的に呼んでおり、大卒の場合、現在35歳から47歳となっている。この就職氷河期世代は他の世代と比較して非正規社員率が高く、所得水準も低いとされている。団塊ジュニア世代でもあることから、人口ボリュームがあるこの世代が就職難で思い通りの就職ができず、またキャリア形成が思ったようにできなかったことは、コストを要する婚姻生活を躊躇する要因となり、婚姻率の低下は少子化の大きな要因となっている。
 また就職氷河期世代はこれまで、高度成長期に総中流のなかで勤労した親世代(現在65歳から80歳くらい)からの生活支援により、低所得であったとしても生計を維持できてきた側面もあったが、年金生活下での長寿化により、生活支援は今後細っていく一方だと思われる。さらに就職氷河期世代は他世代と比較して所得水準が低いことから、子どもの貧困につながっている可能性がある。
 就職氷河期世代は、今後も社会保障制度を中心的に支える立場である以上、この世代の所得水準の底上げは非常に重要な社会課題だと考える。そうであるならば、なぜ所得水準が低いのか、どのような職業能力やその他の要素が他の世代と比較して低いのか、又は高いのかを分析することが、政策企画立案のために必要であると考える。



 大学院2年目のこの夏の研究テーマの変更は、有限の時間を、何の為に使うのか、ということを改めて考える機会になったと思います。
 私自身は議員になるために議員になったのではなく、あくまでも雇用問題や一人ひとりの職業生活の充実のために活動をしているのだと、自分を客観的に見つめることができたと思っています。

 
藤井テツ




▲ページのトップへ