「みんなの党」論⑤~総括にかえて~

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 4回に分けて私なりの「みんなの党」論をまとめてきました。党の成り立ちから解散に至るまでのプロセスを振り返る中で、あらためて「みんなの党」の歴史的価値を考え、私自身の行く末を考えるための座標軸を再定義することができました。

 党の理念や政策面の評価を行うのであれば、党最盛期にあった2013年初頭(2013年1月27日)に開催された党大会で発表された「アジェンダ2013」に対する進捗状況を確認した方がいいと考えます。

政治を諦めないで下さい。政治を諦めてしまったら、何も変わりません。
 みんなの党の政策目標(アジェンダ)は、先進国では極めて常識的な名目4%以上の成長を達成することです。名目3%という自民・公明・民主の掲げる目標は、消費増税を優先するために低く抑えられた数字。名目4%以上の成長は、所得と税収の増加によって社会保障の財源を安定させ、財政再建に繋がります。来年4月に予定されている消費増税は凍結すべきなのです。

 そのために必要なのが、2年で2%以上の物価安定目標に加え、既得権益に切り込んだ大胆な規制改革。みんなの党は、電力・医療・農業の3分野で闘う改革を進めます。電事連・医師会・農協の既得権3兄弟は「岩盤規制」を下支えしています。これらの団体とのしがらみのないみんなの党だからこそできる改革です。
 
 みんなの党は、原発ゼロと経済成長を両立させる確かな答えを持っています。自民・公明・民主・維新の進める中途半端な電力改革ではなく、徹底した電力自由化・発送電の所有権分離で再生可能エネルギー事業者などの新規参入を促し、賢い節電を進めます。
 そして核燃料サイクル事業を停止。2020年代には原発による発電はゼロにいたします。発電と熱供給のコージェネ推進で小規模分散型のエネルギー供給システムをつくれば、政治・社会システムの転換に繋がります。

 憲法改正の前にやるべき事は、まず違憲状態の選挙制度の解消です。みんなの党は、住所差別の起こり得ない1人1票全国集計の比例代表制を提案しています。政党が国民に根差した正統性を確立しなければ、民主主義による国家経営は成り立ちません。

 また国家経営に必要不可欠な官僚制度が時代遅れとなっており、民間並みの信賞必罰の効いた制度に直す必要があります。国家社会主義体制の1940年前後に完成した官僚統制・中央集権システムが、今なお、岩盤のように残っているのが日本の病弊です。我々は、こうした戦時体制を賛美する勢力とは一線を画して参ります。

 皆さまの正義とお力をみんなの党にお与えください。必ず日本を変えて元気にして参ります!


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 「みんなの党」は、この国の未来を本気で案じた人たちがそれぞれの思いを胸に結集した保守改革集団だったと思います。中央集権構造を改革すべく、中央省庁改革と公務員制度改革、地方分権改革を推進する考え、鈴木・中曽根・橋本・小泉の歴代内閣の流れをくむ歳出削減による行政改革路線を根本に、それに加えてデフレ脱却のための経済成長戦略を打ち出し社会保障を維持しようとした先導する魁的政党だったと思います。
 
 誤算は、一つ目は、自民、民主を交えた政界大再編を企図したに関わらず民主党の自壊が予想以上に早く自民党が政権復帰したことで自民党を巻き込んだ再編が困難となった事、二つ目は、みんなの党と近似する政策を掲げる維新の会が国政に進出し合併協議も整わなかった事、三つ目は、安倍政権がみんなの党の政策を積極的に採りいれ野党としての立ち位置が難しくなり党内権力闘争を招いた事、だと考えます。

 目に見えた成果は、二度の総選挙・参議院選挙で議席を伸ばし、いわゆるテコの原理で少数政党(最大衆参合わせて36名)であるにも関わらず、経済政策や規制緩和、行政改革の議論を引っ張った事です。また政府与党の原案に対して「みんなの党の対案」を作成し提出し続けました。それまでの「反対野党」とは異なり「責任野党」であると自負し、55年体制の下で繰り広げられてきた不毛な対立から脱却して国会での法案審議の場において建設的提案を行う風潮を生みだしたことも挙げられます。

 しかし一方で、期待の裏返しの政治に対する不信感、失望感を高めたことも負の遺産と言えます。クリーンさを武器にしていたにも関わらず、党内抗争やカネ問題が発生しました。今から振り返ると渡辺代表の政治献金疑惑はシロだったと思いますが、当時は地方議員に対して十分な説明もなされず私自身も党本部に対して強い不信感を抱いた言動をしていましたので、国民の政治不信を助長してしまったのではないかという反省があります。

 みんなの党は2014年11月28日に解党しました。ただ実際には渡辺先生が代表を辞任した2014年4月、又は江田先生が離党した2013年12月、もしくは維新の会との合流協議が決裂した2013年8月の時点で党の盛衰の行方は決まっていたのかもしれません。
 いずれにせよ党の解党から早くも2年が経過しました。

 既に記載の通り、みんなの党が果たした事はたくさんあると思いますが、やり残したこともあると思います。

 その中でも特に取り上げなければならないものは、「住民自治の推進」です。
 1997年に橋本龍太郎政権で行われた中央省庁改革はこの国の未来を憂いた政治家や官僚が断行したもので、その後の公務員制度改革も合わせた行政改革が2000年代~2010年代に行われました。しかしながら「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へと転換することに結びつくものでなければならない」という行政改革の最終目的はまだ果たし得ていません。

 おりしも、現在おおくの自治体においては「協働」の考えの下で、市民・市民団体、事業者、行政による公共的役割の分担を巡る試行錯誤が続いています。
 行政改革により公務員制度改革は進み、行政の意識もかなり変化してきました。次に必要なことは、「地域主権(住民自治型地方分権)」を実現するための市民一人一人の自律であり、行政(団体自治)と対等の立場に市民が立つことだと思います。

 その他にも道州制の議論や、今なお問題である国・地方の権限及び財源負担の議論、代替エネルギーの議論などがあります。

 私自身の2016年~2018年の3年間の行動指針とも言える「アジェンダ」は既にブログで公開しているところですが、みんなの党がやり残した事柄、特に住民自治の推進については、中長期的視点を持ち、その実現に向けて行動と選択をしていきたいと考えています。

 
大津市議会議員 藤井哲也拝



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