「みんなの党」論④~衰退期・解党~

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 2012年秋。大津市でいじめ自殺事件が社会的問題となっていた頃、国会においては、社会保障と税の一体改革に関する自公民の三党合意が6月21日になされ、8月10日に野田政権において消費税増税法案が成立しました。
 みんなの党は一貫して「増税の前にやることがあるだろう!」というスタンスで、行政改革による組織のスリム化・業務効率化や、公務員制度改革、特別会計埋蔵金の活用、またインフレ政策による財政改善を訴えており、消費税増税に対して厳しく反対姿勢を採ってきました。

 8月22日に議員立法で成立した社会保障改革推進法にもとづき、有識者による社会保障制度改革国民会議が行われてきた最中の11月14日に行われた野田首相と安倍総裁との党首討論において「我々は、自分たちが出している(衆議院議員定数削減)法案に御賛同をいただきたい」「御決断をいただくならば、私は今週末の16日に解散をしてもいいと思っております。ぜひ国民の前に約束してください」とのやり取りを経て11月16日に衆院解散がなされ、12月16日に総選挙となりました。

 みんなの党は公示前の8議席から倍増以上の18議席を獲得したものの、公示前11議席の維新が54議席へ大躍進したのに比べて、やや見劣りするものとなりました。
 なおこの総選挙により、民主党は大敗し、自民党・公明党が2009年8月以来3年ぶりに政権の座に返り咲きました。

 2013年2月28日の安倍首相「施政方針演説」では、アベノミクスの基本方針が示されました。

経済成長を成し遂げる意志と勇気
 さて、日本経済の将来に、今の若者たちは「希望」を持てるでしょうか。
 若者たちが、「未来は明るい」と信じることができる、力強い日本経済を立て直すことが、私たちの世代の責任であります。
 「三本の矢」を、力強く、射込みます。大胆な金融政策であり、機動的な財政政策。そして、民間投資を喚起する成長戦略です。今までと同じやり方では、激変している国際経済に、立ち向かうことはできません。
 日本の経済成長は、世界を覆う大競争の荒波に、ためらうことなく漕ぎ出していく、私たちの意志と、それから勇気にかかっています。


 米国レーガン大統領の経済政策「レーガノミクス」にあやかり名づけられた、「アベノミクス」の三本の矢は、従来 みんなの党がアジェンダで提唱してきた政策です。みんなの党としては、政策が実現に向けて動き出すことは喜ばしい事ではありましたが、存在意義が失われてしまうリスクもありました。

 また中央省庁改革に続く「公務員制度改革」が重要な課題となっていました。みんなの党は天下りの管理などを内閣が行う制度や、公務員人事制度の改正を唱えていましたが、こちらも第2次安倍晋三政権が進めていきました。以下、第2次安倍政権が推進した公務員制度改革の中間総括を内閣人事局ホームページから抜粋します。

 平成24年(2012)12月26日に新政権が発足後、国家公務員制度改革基本法に基づき提出された法案に対して様々な議論があったことを踏まえて、これまでの経緯なども踏まえ、総合的に検証しながら、改革の具体的内容について、有識者を招いた「今後の公務員制度改革の在り方に関する意見交換会」の開催等により、検討を重ねてきました。平成25年(2013)6月28日には、「今後の公務員制度改革について」を国家公務員制度改革推進本部決定し、今後の国家公務員制度改革の考え方が示されました。当該本部決定では、今後の改革に当たっては、平成21年(2009)麻生内閣が閣議決定した「国家公務員法等の一部を改正する法律案」を基本としつつ、国家公務員制度改革基本法の条文に則し、(1)幹部人事の一元管理(2)幹部候補育成課程(3)内閣人事局の設置等(4)国家戦略スタッフ・政務スタッフ、(5)その他の法政上の措置の取扱い、の各項目に関して機動的な運用が可能な制度設計を行うこととなりました。
 なお、平成25年(2013)7月10日に国家公務員制度改革推進本部の設置期限を迎えましたが、新たに行政改革推進本部(本部長:内閣総理大臣)の下に国家公務員制度改革事務局を設置し、引き続き国家公務員制度改革の検討を行うことになりました。
 平成26(2014)年4月11日に「国家公務員法等の一部を改正する法律案」が成立し、平成26年5月30日に、人事管理に関連する制度について、企画立案、方針決定、運用を一体的に担う内閣人事局を設置しました。
 (内閣人事局ホームページより)

 2014年4月11日に国家公務員法等の一部を改正する法律案が成立したことに続き、同年5月14日には地方公務員法及び地方独立行政法人法の一部を改正する法律が公布されました。

 みんなの党が掲げていた「脱官僚」やインフレ政策と規制緩和を主軸とした経済成長戦略は、自民党の政策に吸収される形で実現していくことになりました。

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 みんなの党でいつの頃からか渡辺代表と江田幹事長との不仲が公然の事実となっていました。
 「ホップ・ステップ・ジャンプ」のジャンプに位置付けた2012年末の衆院選挙において、議席を倍増させたものの、維新の会が大躍進したこと、安倍政権による経済政策、行政改革により存在意義が薄れつつある中で、次のビジョンをどのようにしていくのかが重要な問題となっていました。

 自民党との連携を強めてみんなの党の政策を実現していこうとする渡辺代表と、あくまで野党再編にこだわり維新や民主との連携を模索しようとする江田幹事長に大きく分かれていました。
 2013年6月23日に行われた東京都議選では1議席から7議席へ伸ばし、7月21日に行われた参議院選挙では13議席から18議席へ伸張するなど主に都市部において一定の底力を見せたものの、都議選及び参議院選挙前後に、渡辺代表と江田幹事長との間の亀裂は深まっていました。
 7月21日の参議院選挙当日に、江田幹事長は民主党の細野剛志前幹事長と松野頼久国会議員団幹事長と三者会談を行い野党再編を協議したことなどが問題となり、8月6日に江田幹事長を更迭し、浅尾慶一郎政調会長を昇格させる人事案を可決しました。

 8月23日に柿沢氏が離党、みんなの党内で権力闘争に発展し、12月9日に江田先生らが離党届を提出し、12月18日に「結いの党」が衆参15名の国会議員によって結党され、みんなの党は分裂しました。(「結いの党」はその約一年後に日本維新の会(橋下派)と吸収合併しました)
 
 江田幹事長無きあとのみんなの党は雨降って地かたまるように思われたものの、2014年3月26日発売の週刊誌において、渡辺代表が献金問題で取り上げられたのを発端に、4月6日渡辺代表がみんなの党党首を辞任。後任は浅尾幹事長が継ぐことになりました。この時点でもはやみんなの党は再起不能に陥ったと思います。
 みんなの党内部が大混乱になる中、4月24日に渡辺代表の献金問題に関する党内調査が発表されました。(調査結果
 しかし地方議員や地方組織には情報はほとんど出されず、地方議員を中心に不満が一気に高まりました。こうした流れの中、みんなの党本部は地方組織の立て直しを図り、全国の都道府県単位で総支部や連絡協議会が設立され、近畿においても4月26日に大阪総支部が、そして4月27日に京都府と兵庫県で連絡協議会がつくられました。滋賀県は当時県議だった方が慎重姿勢だったため私の党在籍中にはついに組織化されることはありませんでした。

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 次期衆院議員選挙が刻々と近づいてくる中、維新と結いの党の合併協議が進み新党構想が現実味を帯びてくる中で、2014年6月20日に「国民運動体 日本の夜明け」以来の理解者であった江口克彦先生(最高顧問)が離党しました。
 その後は、渡辺前代表派と浅尾新代表派又は中立派において駆け引きが続き、収拾がつかない状況の下、11月に入り解散局面に入ると一部国会議員が民主党と合流協議を進めたことからさらに紛糾し。ついに11月19日の両院議員総会において解散が決定されました。(20名中 解散賛成13名)
 2014年12月2日告示・14日投開票の第47回衆院選は、自民党が291議席と過半数を制し、前代表の渡辺喜美先生ら多くの元みんなの党国会議員が落選しました。翌年2015年4月に行われた地方統一選挙においても元みんなの党地方議員は多くが苦戦し大半が落選することになりました。

 
 現在までに第2次安倍晋三政権は、みんなの党が政策の柱にしていた「地域主権」についても、「地方創生」を打ち出し、地方活性化にも取り組んでいます。一方、「道州制」に関しては江口克彦先生が座長を務めた道州制ビジョン懇談会が2009年8月4日に開催されたのを最後に(その後、8月末から民主党政権へ移行)、実質的に協議や検討は進捗していません。「この国のかたち」としては今後の宿題なのかもしれません。
 また関西においては大都市の統治機構の改革をめざし、大阪都構想の実現に向けた住民投票が2015年4月27日告示・5月17日投開票の日程で行われた結果、賛成49.62%:反対50.38%、その差1万741票差の超僅差で否決されました。これにより維新の党代表職にあった江田先生は辞任し、橋下大阪維新の会代表は政界引退を表明しました。


大津市議会議員 藤井哲也拝






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