大津市真野について(1)~真野のシンボル~

ホームブログ>大津市真野について(1)~真野のシンボル~



おはようございます。
昨日は真野川沿いのお芋畑に地元園児が芋掘りに来られて、地域の農業による地域活性化サークル「真野パイオニアサークル」の一員としてサポートさせて頂きました。

真野パイオニアサークル2015年こども園


■■■

ところで、この真野川と国道477号が交差する橋の上近くに、一つのモニュメントがあります。「古歌の郷 真野」と書かれた芸術作品です。

IMG_3214

IMG_3213


このモニュメントは今から約20年前(1996年1月9日)に、大津市ふるさと創生まちづくり事業補助事業として、真野地域のシンボルとして設置されたものです。
自治連合会から任命された6名の委員(小林修一さん、中野清明さん、佐倉正雄さん、鈴鹿速太さん、上田駒一郎さん、奥野久仁枝さん)と当時の真野学区自治連合会(会長:岡本喜久雄さん)を中心に企画が進められ、顕彰碑の設置及び、真野地域にちなんだ古歌を紹介する記念誌発行を行われました。

古歌の郷真野(平成8年)
(記念誌の表紙)

入江の旋律(秋元幸茂)
(顕彰碑作者の秋元幸茂さん[現 滋賀大学名誉教授]のメッセージ)


「入江の旋律」と名付けられたこのモニュメント。「入江」とは言うまでもなく、万葉集をはじめ平安時代多くの歌人が此の地に来て歌に詠んだ「真野の入江」です。そしてモチーフとなったのが琵琶湖での漁業に用いられる道具「えり」です。(水の流れと魚の習性を利用して、ツボと呼ばれる仕掛けに魚を追い込む定置性の漁具)

万葉集などで歌われている「真野」に関する歌としては、
●いざ子ども 大和へ早く 白菅の 真野の榛原 手折りて行かむ(高市連黒人)
●白菅の 真野の榛原 行くさ来さ 君こそ見らめ 真野の榛原(黒人の妻)
●近江路や 真野の浜べに 駒とめて 比良の高嶺の 花を見るかな(源頼政)
●鶉なく 真野の入江の 浜風に 尾花波よる 秋の夕暮れ(源俊頼)
●浜風に いまや衣を 鶉なく 真野の入江の 秋の夕暮れ(後鳥羽院)
などがあります。


昔の方によく聞くと、国道161より琵琶湖側は湿地帯で歩けるような状態じゃなかったということです。それよりももっと昔になると琵琶湖岸は今より山手側に位置し、真野に「沢」という地域がありますが、その辺りまで水が迫っていたという話です。

これに関して、上記既出の「記念誌」には以下の内容が記載されています。


真野の入江について27年10月


平安時代には黄色の等高線(海抜86メートル)地点に湖岸があったとの推定がなされており、古来からの地名とも合致します。

今、真野川沿いに広がる田園には春に100を超える鯉のぼりが泳ぎ、夏には黄金色の稲穂が風に揺れ、秋には芋掘りに来る地域の子供の笑顔があふれます。きっと1000年前も、背後に比良山脈を臨んで多くの歌人や貴族を魅了する入江があったのだろうと思い馳せます。

現在、真野のことをいろいろと調べています。真野地域の文化を掘り起こしていきたいと思います。


大津市議会議員 藤井哲也拝








▲ページのトップへ