大津百町をめぐる。

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おはようございます。
大津市議会議員(滋賀県)の藤井哲也です。

昨日は「文化経済フォーラム滋賀」が主催する、平成25年度第2回 文化ビジネス塾 に参加させて頂きました。
3年前の設立時からの会員でありますが、総会以外のイベントに参加したのは実は今回が初めてでした。

今回は藤井家の発祥の地である「大津百町」をめぐり、あらためて大津の良さを発見できるのではないかと考えたからです。期待していた通り本当に素晴らしい勉強の機会だったと思います。


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大津祭りの中心となるJR大津駅前の 天孫神社 に集合。


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大津祭りを今から約300年前の江戸時代に開始させたと言われる人物が住んでいた 鍛冶屋町。
藤井家も遠い昔ここに住んでいたと以前聞いたことがあります。(私の出生は 長等学区)


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旧大津は、東海道で京都に上る最後の宿場町として江戸時代大いに栄えました。
「旧東海道」(京町通り)には、旅人を迎えるお店を中心に、一本浜側の「中町通り」は食べ物屋さんや荒物屋さんが、そして一番浜側の「浜通り」には北陸や蝦夷地から琵琶湖経由で送られてくる様々な物資をおろすための建物が並び、現在の浜大津駅周辺には幕府の蔵と近江の蔵があり物流拠点として賑わい隆んでした。
写真は京町通りにある、明治33年創業の近江度量衡の創業記念館です。


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大津の町家は昭和の初め頃に、自動車交通の普及により大きく変貌を遂げました。
特に道路を拡幅するために、軒下を削る、「軒切り」と呼ばれることを国・市が命令したことにより、1Fは腰付出窓、2Fはガラス窓と肘掛が一般的なスタイルとなったようです。(江戸時代以来の意匠を残している建築物もあります)


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日本法曹の分権を世界に知らした大津事件(津田三蔵によるロシア皇太子ニコライ暗殺未遂事件)があったのも、旧東海道(京町通り)です。現在も、津田三蔵が逃げ込んだ町家が残っています。


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丸屋町商店街にある「ギャルリー オー」さんでお茶もさせて頂きました。
店主が長崎出身とのことで、平日は長崎ちゃんぽんも出しておられるとのことです。また哲学アートカフェや、能イベントにも活用されているとのことで、ひと際目立つ存在に感じます。


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「ギャルリー オー」の向かいにある、万治元年創業の「平井酒造」さん。
実は「ギャルリー オー」の町家の持ち主でもあります。大津では町家が徐々に空いてきていますが、大津人の気質からかなかなか情報が表に出ないとのことです。当然ながら不動産会社では町家の仲介はありません。
空き町家については一手にNPO曳山連盟が担っており、大津市が支援する形で、借主とのマッチングをしています。
【連絡先】大津市都市計画部都市再生課


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最後は昭和9年に建てられた昭和モダンの香りがする「旧大津公会堂」内にあるレストランで、大津百町活性化のキーマンである柴山直子さんと、なぎさWARMSも経営されている㈱プラネットリビングの秋村洋さんのお話を伺いました。
大津百町の町おこしの取り組みを改めて伺い、私的財産の上に行政が勝手にデザインをすることの難しさ、そして町に住む人自身による取り組みの大切さを勉強することができました。

以前、奈良市へ「ならまち」について視察訪問させて頂いたことがありました。
私の周りに聞くと、大津の町並みは何か一体感がないという声をよく聞きますし私もそう感じます。
そうした時、ならまちのような景観があれば素晴らしいのにと思います。
しかしやはり優先されるのは「そこに住む人」の考えだと思います。
大津百町は私の生まれた場所でもあるので、活性化に何か役に立ちたいと思っています。
私にできることをこれからも考えていきたいと思います。
【参考】平成25年2月1日ブログ記事『「ならまち」(奈良市)の取り組みと、「大津百町」の取り組み。』


いよいよ明日が私の一般質問当日です。
予定通りですと、おそらく15時~17時の間に回ってきます。
もし良ければ議会傍聴にもお越しくださいませ。


大津市議会議員 藤井哲也拝




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