支所統廃合検討に関する雑感2

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 公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。
 所得、権力、機会などの分配の仕方を、それ一つですべて正当化できるような原理あるいは手続きを、つい探したくなるものだ。そのような原理を発見できれば、善良な生活をめぐる議論で必ず生じる混乱や争いを避けられるだろう。
 だが、そうした議論を避けるのは不可能だ。(後略)
 (『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル,早川書房 2010 335-336頁)




 大津市行政が考える市民センター機能等あり方検討における原理は、「住民自治の確立」と「持続可能なまちづくり」の二つであります。




 「持続可能なまちづくり」という、一見分かりにくいキーワードを挙げています。ひと、もの、カネが経営資源であるならば、それらが持続可能に循環するまちづくり体制をつくりあげることが、「持続可能なまちづくり」に資する活動になるのかもしれません。

 市民センター機能等あり方検討における議論、とりわけ支所統廃合における議論で、よく市長ら行政府の人間が言うのは、支所を集約して行政コストをカットする、効率化するということです。確かに、無駄なものはスクラップしていけばいいと思いますが、そこには無駄ではないと感じている人がいることも忘れてはいけません。

 そもそも行政はなぜ、存在するのだろうかとも思います。
 公共福祉の向上は、市街地に住む人、五体満足な人、裕福な人のためにあるのではなく、不便な場所に住む人や、障害者などの社会的弱者、貧しい人のためにこそ存在意義があると思います。(本当に秩序維持のための夜警国家でいいという方とは意見が合わないと思いますが)
 現在、企業でさえ株主や経営者のためだけにあると考えているのは時代遅れで、社会の中の企業という立ち位置なくして、企業の社会的責任、CSRなどは論じられるべくもありません。いわんや、公共福祉のために存在する行政府は、よりいっそうそうした傾向が強いと思います。



 LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。



 上の文章は、杉田水脈衆議院議員の寄稿文の抜粋です。
 この寄稿文に嫌悪感を抱く人ならば、支所統廃合の問題にも理解を示して頂けるのではないかと感じています。

 生産性や効率性という原理だけで物事を決められるのであれば、社会は本当に単純ですが、そうではありません。支所統廃合で効率性だけをたよりに、不便地の支所廃止に賛同するなら、障害者や高齢者の切り捨ても仕方ないと思われるかもしれません。そういう世の中で仕方ないというのなら、返す言葉はありませんが、自分が70歳になったとき、または障害を負った時、そのしっぺ返しは自分に返ってきます。公共の果たす役割というのは、効率性や生産性だけでカバーできるものではないはずです。

 
 支所統廃合は「木」に過ぎません。
 公共福祉の向上、アリストテレスの言葉を借りるならば、善良な生活を人々がしていけるような取り組みが「森」だと言えます。

 支所統廃合は確かに効率性の観点から言えば、統合の対象になるのかもしれません。
 しかし、それは「森」全体を支える一つの重要な「木」かもしれません。 
 その「木」がなければ、森全体の生態系に影響を及ぼし、「森」そのものが衰退してしまうかもしれません。持続可能なまちづくりの拠点である支所機能を含む市民センターを、別の形に変えることは、まちづくりの源泉をとりはらってしまうことになるのかもしれません。



 市民センターあり方検討は、単に公共施設マネジメントという「効率性」の問題の領域の問題を越え、将来の大津市のまちをどのような姿にしたいのかという領域も含んだ、検討であるべきです。
 まさに、「公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。」なのだと思います。

 
 支所統廃合を単にコストカットの観点からだけ、見ているのであれば、別に大津市に住む必要もありません。もっと利便性が高く、行政効率がよい町に移り住めばいいだけです。あまり、これまでまちづくりの担い手になった経験がない人にとっては、大津でなくても、生活が便利であれば、どこでもいいのかもしれません。しかし、それは持続可能なまちづくりの両立するのか、住民自治の確立と両立するのかは、疑問に感じます。
 
 より広い観点から、大津のまちづくり、支所統廃合の問題を考えていかねばならないのだと思っています。


フジイテツヤ





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