終戦の日。

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 政治行政に関わらせて頂いていて日頃から大切にしているのは、「現在」と「未来」からの評価です。いまに生きる人の生活の向上と共に、未来に生きる子ども世代、孫世代の生活の事も考えておかねばならないと考えています。
 そして毎年8月15日だけは、「過去」からの評価を三省するようにしています。政治家のはしくれとして、命をかけて戦塵に散った方々が思い描いた社会をいま築くことができているか、自分がなにか貢献することができているか、自身であらためて振り返る日にしています。


 京都岡崎で働いていた祖父母一家が戦争前夜に朝鮮半島にわたり仕事をはじめたものの、終戦に伴い本土へ引き揚げ、祖母の実家があった大津市長等へ定住することになり、そこで私の父が生まれることになりました。そして日本が敗北した昭和20年の夏から32年経った昭和53年(1978年)の秋に、私も大津の長等で生まれました。

 日本人の一人としてあらためて先の戦争を思い返した時に、常に思うのが「終戦」として受け止めるのではなく「敗戦」として確りと認識することではないかと考えます。
 終戦の詔書にもある通り、『交戦已に四歳を閲し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず』、続けて、『加之、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。』とあります。

 当時の人の話を聞く機会がありますが、「戦争が終わったことは嬉しかったが、戦争に負けたことは本当に悔しかった」と。敢えて言葉の行間や詔書成文過程を振り返ると、強いて「敗戦」という文言を記載せずとも当時の人の中では共有できたある種の価値観が在ったのだと感じます。
 しかしながら今ほとんどの人がその時代の事を知りません。こうした時代に合って、「終戦」という言葉で当時の戦争終結を評価すべきなのでしょうか。私は当時の人たちの思いをあらためて共有すべく「敗戦」という言葉を忍容すべきだと思います。


 対共産主義陣営の前線基地として日本を重視したアメリカの対日政策により、日本は目覚ましい発展を遂げました。ただそれは裏を返せばアメリカの利益を最大化するための側面もあったはずです。米国がなんの躊躇もなく、残虐なる爆弾を広島と長崎に使用して、無辜の人を殺傷した国であることを忘れてはならないと思います。
 現にTPPの米国内批准をめぐって雲行きが怪しくなってきているように、状況(国民の利害)によってアメリカは、実質的なアジア権益を確保しようと方針転換をするかもしれません。ペリー来航目的に遡る過去の歴史を忘れてはならないと思います。

 いま日本がとるべき姿勢は、科学技術や教育の振興やエネルギー資源の確保に励み、日本周辺のみならず東アジアの安定を維持するために、リアリズムに基づいて日米同盟を維持し、中国とのエスカレーション戦略に対抗するすることだと思います。これが平和を維持する最善策ではないかと感じます。
 そうしたことから、現在の安全保障政策、国防指針については評価すべきではないかと思いますが、一点だけ思うのは沖縄の基地問題です。
 私には沖縄の友人知人がたくさんいるのですが、決して口には出しませんが本心では「琉球独立」が念願ではないかと思うのです。日本国の一部であることに“利”はあるものの、“理”があるとは感じていないのではないかと思います。
 沖縄戦終盤に太田中将による打電で、『沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ。」とあることは、常に私の脳裡に在ります。
 沖縄の基地問題は、日本の安全保障を考える際に割けては通れません。フリーライダー(平和のただ乗り)ではいたくないと私は思います。


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 天皇陛下が「お言葉」をビデオメッセージとして公開されました。
 主権者である日本人の総意に基づき、天皇陛下の位置づけは「日本国と日本国民統合の象徴」とされており、その象徴としての務めが今後加齢によって難しくなってくるのではないかとのことです。メッセージを見て、生前退位も国民の総意として検討をしていくべきと感じました。

 また今回のお言葉で印象的だったのは、何度も「象徴の務め」と述べられていたことです。「象徴」つまり、シンボルと置き換えられますが、日本国や国民統合の「シンボル」としての「務め」の重要性を強調されているように思えます。

 『天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。』(抜粋)

 なぜこのタイミングでお言葉を発せられたのか。
 先の参議院選挙の結果、今後2年間で憲法改正の議論が大いになされると思います。自民党の憲法改正草案には、天皇陛下を「元首」にするように規定があります。この部分は今後、十分に検討がなされなければならないと感じます。

 また天皇陛下の生前退位が可能となった場合、天皇陛下が意思を示すために自ら譲位したり、または社会的風潮や政治的なパワーで譲位させられたりするケースもないとは言い切れません。万世一系の世襲制とする皇室にあって、その限界性も議論に含まれてくるのかもしれないと思います。


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 まさに今、平和の祭典オリンピックがブラジルで開催されています。日本人選手の活躍はすばらしく私も体操や競泳、柔道、卓球を見て感動しています。そして日本人であることを誇りに感じています。

 一地方議員として、国家安全保障や、平和活動に貢献できる部分は少ないかもしれません。
 ですが、常に国の繁栄や安全を願い、政治活動を続ける一燈が、いずれ万燈となり結願することを信じたいと思います。

 戦争で犠牲になった方を悼み、そして日本の将来を私なりに考える一日にしたいと思います。

大津市議会議員 藤井哲也拝







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