一般質問解説①「公文書消失事件」(背景と事件経緯)

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こんばんは。本日で今通常会議の一般質問が終わりました。
引き続いて議案審議に移って参ります。

いつもなら一般質問の解説は、少し時間をおいてじっくりと纏めていくのですが、今回はすでに他ブログ(大津通信)で、「質疑応答の要旨」がアップされ、また論点についても議論が進んでいることから、まずは「公文書消失事件」に関する質問の解説を始めたいと思います。

当該質問の議事録は、急ぎ私も聞き取りを行い作成しました。
ご参考に見て頂ければと思います。
⇒ 「公文書消失事件に関する質問の議事録」(PDF)


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【質問に取り上げた背景】

2014年5月末に茂呂氏が副市長を退任されました。茂呂氏は健康保険部長や総務部長を歴任し、越氏が市長就任後、市職員の信任厚い同氏に市長と職員とのパイプ役になってほしいという理由で議会に副市長人事案を2012年6月に提出し、全議員の同意により副市長に就任されました。

ちょうどこの頃はいじめ事件に端を発する一連の役所内部の騒動の余波が続いており、市教委が練ったいじめ対策の報告書を市長が事前に漏らし当時の教育委員長を報道陣の前で面罵し、市教委と市長との信頼関係が喪失した事件や、市長が教育委員会を無視して、市教委職員を呼び出し、住友商事の英語教育教材のプレゼンテーションを聞かせて、教育指導内容に介入しようとした(未遂)事件がありました。 そうした経緯により、民間出身の富田教育長がたった1年で退任した直後です。

市長の組織マネジメントの仕方は、とにかく強権的で、従わなければ左遷。教育長に対しても「私が予算権を持っているのだから従え!」という姿勢。人事権は市長が持っておりその権限を使うのは自由であり、予算権についても法的には問題ありませんが、組織トップが敢えて振りかざすようなものではありません。人心掌握が本当にへたくそです。嵐が通り過ぎるのを待つ面従腹背の職員がたくさんいます。このあたりのことは当時の私のブログにも記載をしています。

そして現在、当時と組織マネジメントの状況はそんなに変わっていません。
仕事に対するモチベーションが落ちたと職員の口から直接聞くことも多くあります。ペコペコ市長の言うことを聞いてきて、現場の声をまったく市長に具申しない部門長の下で働く職員の気持ちはどのようなものでしょうか。耐えがたきを耐え・・に近いと思います。
これらの影響は間接的に市民サービスへ跳ね返ってきます。具体的に市民サービスの低下が目に見える段階では手遅れです。いまは市役所内の職員が最後の気力を振り絞り、がんばって踏ん張っている段階です。

そのように感じていた最近、超党派の若手大津市議による大津市総合計画の推進状況を検討する場を設け、そこに現在の総合計画策定の立役者の一人であり、副市長として事業推進に取り組まれた茂呂氏を招き、話を伺うことがありました。先月19日のことです。

現在の総合計画の推進状況についても辛口コメントでしたが、それ以上に私の心に残ったのは異様ともいえる市役所内部の状況でした。特に具体的事例を挙げて述べておられたのが、今回の「公文書消失事件」です。

先の記事にも記載しましたが、市長自身に都合が悪いと判断したメール等が跡形もなく削除されたのだとしたら、北朝鮮やナチスのような全体主義を彷彿させる情報統制がなされているという恐ろしい状態になっているのではないかと感じました。
実は今回の質問作成に当たっては多くの関係者の協力を得ましたが、みなさん大変重苦しい雰囲気で、ようやく口を開いてくださる方がほとんどでした。冗談ではなく本当に、背後に憲兵がいるのではないかという雰囲気です。

以下、私が収集した「公文書消失事件」に関する経緯です。
(一部、議会答弁で明らかになった事柄も付け加えています)


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【公用文書としての公文書が消失した経緯】

●2013年まで
予算編成のための秋季主要事業ヒアリングや、予算執行にあたっての春季主要事業ヒアリングにおいて、越市長は自分の関心が深い事柄ばかり(子育てや教育など)に時間を費やす傾向があり、興味がない分野は疎かになりつつあると、茂呂副市長(当時)は市政全般の運営にあたり強い懸念を示すようになった。

●2014年春
・春季主要事業のヒアリングを始めるに当たり、伊藤康行副市長は、「担当部署に春季主要事業ヒアリングに先立って事前ヒアリングを行い、市長との主要事業ヒアリングの際の議論を深めたい」という思いから、茂呂副市長(当時)に相談した。茂呂副市長(当時)からは「それはいいことだ」とあり、さらに「では私(茂呂副市長)も各部長の意見を聞きたいので、私の担当の部長にも話を聞く」と相談があったので、伊藤康行副市長は了解した。(議会答弁より)
・伊藤副市長の認識としては、部局長への照会文送付までは了解していなかった。(議会答弁より)

●2014年4月10日
茂呂副市長(当時)が春季主要事業ヒアリングの参考材料とするため、「春季主要事業ヒアリングの実施等にあたって(お願い)」という文書を、当時の部局長に照会した。
⇒ 文書「春季主要事業ヒアリングの実施等にあたって(お願い)」

●2014年4月から5月にかけて
各部局長はこれに応えて率直かつ真摯に各自の意見を提出し、茂呂副市長(当時)は各部局長の氏名を伏せた上で、自らの文責で5月中旬これらを取りまとめた。
⇒ 春季主要事業ヒアリングにあたっての部局長意見集

●2014年5月30日(金)
・退任式当日。あわただしい時に退任式での茂呂副市長(当時)の発言を越市長が前もって確認したいためか二役協議が開催された。越市長は「感謝の言葉で送れるよう一身上の都合に徹してほしい」と要望した。茂呂副市長(当時)は、一応の経過を説明した上で職員に贈りたい言葉がある述べた。こうしたやり取りが続いた後、越市長は「私の言うことを聞かなければ退任式を行わない」と宣言したので、茂呂副市長(当時)は、「勤務時間後に自分で挨拶会を開く」と述べたのに対し越市長は「退職する人に市の施設は使わせない」と述べた。
・また茂呂副市長(当時)は、部局長が真摯に意見を述べた「意見集」だけは、せめて二役と部局長の共有を図りたいと主張したが、越市長は「部局長にまくなら私は要らない」と受け取りを拒否。部局長の意見を市長に届けることが、市長と職員とのパイプ役としての最後の仕事と考えていた副市長はそれ以上主張することを止めた。その結果、市長と伊藤康行副市長の手元に部局長意見集が残ることとなった。
(茂呂氏ブログより)

●2014年5月31日(土)
部局長へ所期の目的を果たすべく、茂呂副市長(当時)は庁内ネットワークで各部局長(一部政策監を含む)の十数名へ、「部局長意見集」をファイル添付してメール送信した。

●2014年6月2日(月)
・各部局長は庁内ネットワークのメール受信簿を開いて、当該文書を閲覧した。
・一部幹部から市長に対して通報があった。
・そのうちの何人かは印刷したが、同日は午前10時より6月通常会議が開会されたため部局長はそれに出席した。議会への提出議案説明等が終わり席に戻った時には、各部局長のメール受信簿から茂呂前副市長からのメールが、添付ファイルと共に消えていた。
・時間をおかずに、伊藤康行副市長から、各部局長に対して電話連絡があり、プリントアウトしていたら封筒に入れて伊藤副市長まで提出するように指示があり、該当者は従った。
・回収された公用文書たる公文書は伊藤副市長の責任の下、シュレッダーで廃棄された。
・結果として発信された公用文書たる公文書は電磁記録としても紙ベースでも消滅した。


次の記事で本質問の解説を行います。


大津市議会議員 藤井哲也拝





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