大津市真野について(7)~真野北②~

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「地名」は「地域のアイデンティティ」そのものだと思います。
真野という地域は以前も書かせて頂いたように、「真津」から転じた名称と言われ、「誠に美しい土地」という意味です。

江戸時代には既に真野の入江は埋失していましたが、開発が進む前の1970年代半ばの真野・今堅田地域一体の航空写真を見せて頂きましたので共有させて頂きます。

昭和50年代 真野地域

写真では既に湖西線が左右に走っていて、びわ湖大橋の付け根に懐かしのびわ湖タワーがありますが周囲はほとんど田畑です。わずかに浜地域、沢地域、普門地域、中村地域、谷口地域、堅田地域に住宅が見えるものの戸数も少なく旧真野村、旧堅田町の面影を残しています。

国鉄湖西線 山科駅ー近江塩津駅が開通したのは、私鉄江若鉄道が1969年11月に廃線して5年後の1974年9月。この5年間は本当に不便だったと聞きます。

江若鉄道真野駅の場所 IMG_3445

江若鉄道真野駅看板 江若鉄道真野駅舎

江若鉄道の真野駅は、真野自動車教習所の山手側、オクノ木材の北東側の現在の湖西線高架下付近にあったと聞いています。写真の駅舎は滋賀県が保有しているもので、行き先看板は現在真野小学校に保管されているものです。

江若鉄道廃線後、旧真野駅と旧堅田駅(現在は「コジャックビル敷地」間の、真野一丁目に新しく「国鉄堅田駅」が建設されました。現在の「JR堅田駅」は真野にあるにもかかわらず、堅田を名乗っています。旧真野駅の後継駅が作られなかったことを考慮して、せめて「堅田真野駅」みたいな形で名前は残してほしかったなと思います。

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真野北地域の地名(自治会)には、「清風」「清和」「陽明」「向陽」「緑」「花園」「美空」があります。素晴らしい名称です。その名称由来について真野北支所の中井良宣支所長に調べて頂いたところ、真野北学区が創設されて10周年の際に発行された冊子に、開発会社の京阪本社へインタビューされた記事が残っていました。

【ローズタウン開発物語】~ローズタウンの町名の由来とその経緯~

京阪本社のローズタウン開発担当部署に各町名がどのような経緯によって決定されたのかをお聞きしました。

「京都、大阪、大津の地域の方々へ良質な住宅地を提供する」という基本開発思想のもとに「自然と人間のふれあいを大切にした、心通う街づくり」をモットーとしました。町名決定では、「琵琶湖を前に眺め、比良比叡の山々を背景に、緑豊かな・・美しいコミュニティ」というこの地ならではの特徴を考慮しました。「空と緑と湖の街」です。

琵琶湖の開発地域を「湖→水」として、「清水」「水明」「湖青」町とする。対して丘陵地域を「高台→空、太陽」として「向陽」「美空」「清風」「陽明」「清和」「朝日」町とする。湖と高台を結ぶ中間地を「緑」ととらえ、「花園」「緑」町としました。

これらの具体的な町名を大津市、志賀町議会に提出。承認を得て正式決定しました。



本記事トップでご紹介した写真の右上の方に、1975年~1980年を中心に建設された美空団地や向陽町の戸宅を見ることができます。丘陵地域から見る琵琶湖は今でも絶景です。
※(1)で紹介した「真野浜のえり」(琵琶湖にある矢印のような漁具」も確認できます。


大津市議会議員 藤井哲也拝

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