大津市真野について(4)~2つの神田神社~

ホームブログ>大津市真野について(4)~2つの神田神社~


こんばんわ。昨日は「大津市立幼稚園規模適正化に向けた実施計画に関する地域説明会」が19時より真野中学校で開催され、子どもと一緒に参加しました。その場で初めて市方針を聞いて、その場で質疑やワークショップというのは難しいのではないかと思いましたし、多くの参加者(お子さん持ち)の方からは開催時間をもう少し考慮すべきと意見がありました。ゴモットモと感じます。
今後もブロック単位で地域説明会が開催されます。子どもたちのためにも、「聞いてなかった」では済まされない説明会ですので、関心持たれている皆様はぜひご参加してみてください。(なぜか要予約です)
→ 地域説明会について


■■■

大津市真野には2つの神田神社があります。それぞれ「上の神田神社(普門神田神社)」と「下の神田神社」と呼ばれています。
子どもの頃から、なぜ2つの神田神社があるのか不思議に思っていました。

真野神田神社
(2つの神田神社の位置)

IMG_3330
(上の神田神社)

IMG_3327
(上の神田神社について)

IMG_3313
(下の神田神社)

IMG_3314


「神田(かんだ)神社」というからには東京神田の神田神社(平将門命などが祭神)とも少し関係があるようで、平将門息女の病気平癒を祈願して西暦932年に社殿一宇を建立したとの記録があります。西暦940年前後の平将門の乱の際には伊香立・龍華の関所が一時的に閉鎖されたとの逸話が地域に遺っており、当時 平将門に関係する地侍がこの一帯に居住していたとされています。

上の「神田神社」は、真野普門町にある神社で、古代豪族・和邇氏系の真野臣の遠祖「彦國葺命(ひこくにふくのみこと)」と、彦國葺命の12世末裔であり、持統4年(西暦690年)に初代真野臣の姓を与えられた「和邇部臣鳥務大肆忍勝(わにべおみとりのつかさおおつおしかつ)」及び天照大神の弟「須佐之男命(すさのおのみこと)」を祀っています。

一方、下の「神田神社」の祭神は、神代の皇族である第5代孝昭天皇の皇子「天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)」と、上の神田神社と同じく「彦國葺命(ひこくにふくのみこと)」と、天照大神の弟「須佐之男命(すさのおのみこと)」の3柱です。初代真野臣の「和邇部臣鳥務大肆忍勝」は含まれておりません。
ちなみに、考昭天皇は古事記で「御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)」と呼び、国語学者・吉田金彦氏(現、姫路獨協大学名誉教授)が京都新聞に1984年に連載した記事によると「真野(まの)」は「真津(まつ)」に因んでいると述べています。古代の真野は中央を流れる真野川が肥沃なデルタ地帯を形成しそれが美称の「真野」と言われるようになったのは「真津」という古名があったからだと推定されています。

ともあれ、地元民としても2つの神田神社があることは、ややこしいのですが、1733年に完成した『近江輿地志畧』によると、「下の神田神社」から、「上の神田神社」が勧請されたとの記載があり、一説では上の「神田神社」は分社とも言われていますが、上の「神田神社」周辺の普門の古老の方に聞くと、そうでもないようで、真偽はわかりません。
そのほか記録に残っているものとしては、文亀年中(1501年~1503年)に、祭典に関する争論が起きて、氏子等によって分離し、上の「神田神社」に遠祖「彦國葺命」や、新たに「鳥務大肆忍勝」を普門山に鎮祭されたとも伝えられています。


■■■

ところで、「上の神田神社」の本殿は1390年前後の建築と見られ、現在 国の重要文化財に指定されており(大正時代以前は国宝)、荘厳な雰囲気を保っています。

IMG_3329

見事な「宮池」と呼ぶ池を有し、紅葉シーズンは素晴らしい景観です。この宮池の一部、奥まった場所に蛇池(じゃいけ)と地域の人が呼ぶ部分があり、江戸時代に日照りが続いて田園が干しあがり枯れる寸前に龍神による恵みの雨が降ったという伝承があります。そのため昔から日照りが続くと京都の神泉苑の善女龍王社より火を受け持ち帰り、村中が宮籠りをしたということです。この行事は昭和40年(1964年)頃まで続いたそうです。


■■■

もう一方の神田神社である「下の神田神社」は西暦811年に真野村下川原(現在のレークパレス、東ビルのあたり)の地に建立されたそうですが、真野川水害のため200年ほど前(西暦1800年前後?)、現在地に遷ったそうです。
郷土史家 佐久間宗勝さん資料より考証

その際、「幸あれ」という思いを込めた儀式が真野氏主導により執り行われ、現在も「幸在祭(さんやれまつり)」が正月17日に継続されています。維新前後に真野氏の力が衰えたあとは、旧・真野澤村の地域住民が引き継ぎ、現在では沢・中村・北村の旧3村の方を中心に運営されています。

現在「下の神田神社」は、西近江路随一の神社として、境内に神宮寺を構え、不動明王(仏像)を祀るなど、かつての神仏習合を伝える全国的に珍しい神社です。祭神の彦國葺命が賊軍を討伐したことから厄除け、勝運の功徳があるとされ、七五三詣りなどで地域の多く人でにぎわっています。


大津市議会議員 藤井哲也拝






▲ページのトップへ