当選から1年と1日。

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こんにちは!
滋賀県 大津市議会議員 藤井哲也 です。

大津市議会議員選挙は平成23年4月17日告示、24日投開票日でした。


私の小学校の時に書いた卒業文集に一つの夢が書いています。
「政治家になって世界平和のためにがんばりたい」というものです。

私の子供のころからの夢は、世界平和です。世界中で起こる紛争や戦争、その地で生まれる飢餓で苦しむ多くの人々、そんな人がいなくなる社会にならないだろうかと思い、自分でなにかしたいと願って子どものころから過ごしてきました。「政治家になりたい」と書いたのは、子ども心にどうすれば、世界から飢餓をなくすことができるのかを考えた時に、実現できる職業として脳裏に浮かんだからだと思います。
いわば私の行動の原点は、「世界の平和」です。

大学生になり、いまだ政治家になりたいと思い、立命館の法学部政治コースに入学しました。
実は政治家と言えばやはり早稲田だろうということで、早稲田大学の政経学部政治学科が第1志望だったのです。自己採点なので実際はどうだったか わかりませんが、合格点まであと数点で落ちました。
当時は落胆しましたが、これも人生と思い大学生活を過ごしました。たまたまた自民党政権で官房長官や幹事長をされていた方の親族の方が同じゼミに社会人学生としておられたので、政治の世界についていろいろと教えて頂きました。
そしていったんは政治の道から外れました。結局のところいろいろな話を聞き、活動にも参加する中で、権力争いに終始し、権力や社会的影響力をもったところでも政治と言うのは妥協の産物で、自分の思っていたことの10分の1どころか100分の1も実現できないことを知ったからです。
あわせてこの頃、四国遍路も徒歩で回りました。
四国遍路は自然との対峙であり、時間と空間の対峙であり、自分との対峙でありました。

世界平和のため、世界から飢餓をなくすため、というのを青臭くも真剣に考え、どうすればそれに一番近づけるのかと考え、「起業」して、会社経営者となり、社会的影響力と財力を持つことによって、なにかできることがあるのではないかと考えたのです。

大学3年生から起業のための準備に取り掛かりました。そして大学4年生になり、就職か起業か迷いました。就職活動も並行して行っており、何社かから内定を頂きましたが、起業と言う選択肢も捨てきれずにいました。
「いったん起業してみよう」と学生にして起業しました。
学生向けのアルバイト先紹介事業でした。しかし、3カ月で失敗。仲間も去り、なけなしのお金もすべてなくなりました。不足するものは「営業力」と「資金」と考え、就職先で2年間、修行にはげみ、自分なりの営業スタイルと300万円の資金を貯めました。

2003年9月29日、会社を設立。
「若者が情熱を持って生き生きと働ける社会づくりに貢献する」という企業理念のもと、情熱の英訳、PASSIONから、「PASIO(パシオ)」と言う社名にしました。
フリーターの多くは低所得で、専門的能力も身につけづらく、生涯にわたって低賃金で働かざるを得ないことが2年間のサラリーマン経験で感じたことでした。結婚率も低く、貯蓄率も低く、年金も少ない。フリーターは5500万人の労働力人口に対して417万人。1割に迫る勢いでした。若者に限っては比率はもっと高かったように思います。
このままの社会では、将来の日本は本当に職業がなく、食うものにも困る人が増える社会が来るのではないか、社会全体で考えても生産年齢人口がきっちりと働かねば社会保障制度も維持できないのではないかと思いました。

そのため事業内容はフリーターを減らすための、求人・求職マッチング事業をメインに現在に至るまで事業を継続しています。
その間、書籍を3冊書かせて頂きました。2005年「フリーターっていいの?悪いの?」、2009年「経営者に問う 誰を切り誰を残すのか!」、2010年「その会社 入ってはいけません!」。
また、専門用語になりますが、「リテンション・マネジメント」という人事専門用語を業界で定着させました。人事の世界では理論研究者として、また理論実践者として活動をしてきました。

2008年秋、リーマンショック。すぐには会社業績に影響は出ませんでしたが、翌年2009年の夏くらいから、急速に市場は冷え込み始めました。当然、景気の先行指標ともいえる雇用環境は急速に悪化し、「雇用調整助成金」、「キャリア形成促進助成金」、または各種職業訓練学校の委託がはじまり、税金を使って求職者支援を行う社会となりました。
雇用調整助成金は、私も活用しましたが、抜本的には解決に至らない助成金という印象です。あくまでも延命治療に過ぎません。また職業訓練学校の委託運営も行いました。しかし「就職できる水準」まで3カ月ないし6カ月でそれまで事務職や、営業職についたことがない人を教育するのはかなり無理があります。単にパソコンが使えるようになったから就職できるのかと言えばそんなに簡単なものではありません。
私が経営する会社は「就職する」ということを強烈に意識した職業訓練学校の委託運営を行ったのですが、それでも就職率は3割に届きませんでした。いわんや単なるパソコンスクールが運営する委託校なら就職率というのは散々だったのではないかと推察します。

求人、求職のマッチング事業による雇用問題の解決に限界を感じ始めていました。
その頃、行われたのが2010年夏の参議院選挙でした。
長くビジネスの世界にいて、政治のことなど忘れていましたが、TVに映っていたのは、「みんなの党」という政党です。そしてTVに映っていたのは、タリーズコーヒージャパンを創業した松田公太氏(現・みんなの党 参議院議員)の選挙活動の姿でした。
「そうか、政治の世界から、雇用環境をよくできるかもしれない。マッチングではなく、経済成長、新規事業の創出に関わって、新しい雇用を生み出せるかもしれない。」と思ったのです。

いろいろと悩む2、3か月が流れ、2010年秋、会社の役員に「政治の世界も志したい。会社も継続する」と伝え、翌4月に実施の統一地方選挙に出るべく、みんなの党に公認申請を出しました。
内々定を頂いたのは、10月28日。
しかし、当初申請していたところから調整があったため正式内定の時期が遅れましたが、12月3日、東京でみんなの党 渡辺善美代表に面談いただき、「政治家には利権が多いが、初志貫徹しなければならない。」という言葉を頂き、その場で最終内定を市議会議員候補で頂きました。内心複雑なものはありましたが、すぐに気持ちを切り替え、がんばらねばと思いました。

政治活動(広報紙の発行や演説活動など)をするのには、政治団体届けが必要になります。
みんなの党から支部長就任の証明書が届いたのが12月15日頃、そこから申請書類を作成し、滋賀県の選挙管理委員会に「みんなの党 大津市議会第1支部」を届け出たのが12月21日でした。
年末も迫る中、翌日22日から活動をはじめ、年末30日まで地域まわりをしました。
翌正月2日から活動を再開し、はじめて朝の駅立ち演説したのは、1月10日頃だったと思います。
育った真野学区の最寄りのJR堅田駅と生まれた地平野学区の最寄り駅のJR膳所駅を核として、その周辺のJR小野駅、JRおごと温泉駅、JR大津京駅、そして高校時代3年間通ったJR瀬田駅で毎朝演説活動をし、経済活性化による雇用環境の改善、公務員制度改革による無駄づかい排除の思いを話させて頂きました。

演説活動をしたのは3月11日までの約2ヶ月間しかありませんでした。
正直、地域で無名を挽回するには時間不足でありました。が、4月24日夜9時半頃、当選確実のテロップがTVに流れました。

その日から1年が経ちました。


市議会議員でやりたいことは
1 経済成長による雇用環境の改善
2 公務員制度改革による無駄の排除と公務員のモチベーション向上
3 若い人の声や思いを多く行政・政治に反映させること  です。

この1年間、地域経済の活性化、公務員制度改革を中心に活動をしてきました。
評価するのは自分ではありませんので、自分ではどうこういうものではありません。
今後も初心からブレずに行動し、思いを強く持って活動を続けていきたいと思います。
また、世界から飢餓をなくすという夢、世界平和のため役立つという夢を抱き、「一燈照隅万燈照国」の気持ちで活動をしていきます。

この1年お世話になった皆さまに感謝。
そして今後ともご支援・協力して頂けるよう、これまでにも増して一層がんばらねばと思いを強く致します。


来たる6月3日(日曜日)に 観光地 おごと温泉 で「藤井哲也と語る会」を開催します。
1年間の活動報告とこれからの活動抱負を話いたします。
ぜひ関心を持って下さる方はご参加を賜れましたら幸いです。
大津市議会議員 藤井哲也と語る会 ご案内 (Word)







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