デジタルネイチャー時代の政治行政

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 昨日、本会議があり 大津市議会9月通常会議に提出されていた議案及び請願、意見書と決議案の採決が行われました。私も会派を代表して討論に立ち、予算議案に関連して意見を述べました。




 特に地域や、地域住民に関係する事柄としては、以下2点取り上げました。

「伊香立中学校排水施設整備事業費(排水施設使用に伴う費用負担)」の来年度までの債務負担行為5104万8千円について。本会議一般質問でも取り上げたように、真野川や世渡川への水質環境に与える影響について、真野学区自治連合会や農業、漁業関係者を中心に懸念されているところである。この間、本市教育委員会にあっては、真野学区自治連合会に一定の理解を得るため当該事案を説明するなどしてこられたが、改めて予算常任委員会 教育厚生分科会に示された本市行政と事業者との間に交わされる協定書案を確認したところ、真野川及び世渡川の水質環境に関する懸念に対して、行政も関与して必要な対策が講じられるものと理解したところである。本市行政には、くれぐれも本件議決によって地域住民の生活環境や経済活動への悪影響や、地域内での摩擦が生じることがないように、適切な対応を強く求める。

款10 教育費 項5 社会教育費 目5 公民館費 32万3千円は、和邇学区で本年10月から始めようとする「公民館自主運営モデル事業」の開始に必要となる予算である。支所機能を有する市民センターとは別の立地に公民館がある和邇学区にあっては、コミュニティセンターの委託運営に、どの程度の費用や労力が必要となるのかを純粋に測ることができる利点を考慮すれば、年度途中からの補正予算の措置にも理解ができるところである。一方、昨年度から始まった将来的な公民館のコミュニティセンター移行を目指す当該事業では、財政的にもまた、人材的にも比較的有利な学区がモデル事業に手を挙げていると認識している。ついては、市民センター機能等あり方検討では、モデル学区のみならず他の学区の意見や意向も踏まえて、施設運営委託料やまちづくり協議会運営に係る交付金などの算定をしなければ、地域自治の充実につながらないという認識を共有しておきたい。



 議案質疑や討論は、将来的に懸念される事柄をあらかじめ提示し、行政に対してリスクマネジメントを求める場でもあります。(議案討論は、一義的には議員向けではありますが。)
 地域住民が安心して暮らすことができるように、全体から見ると限られた権限ではありますが、残す半年の議員任期では最善を尽くしたいと思います。

 
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 最近、読んだ書籍には、地方自治や学校教育、統計分析など実用的なものも多くありますが、未来社会について論じたものもあります。本は自分が持っていない新たな知識や知見を得られるので、毎月5、6冊は読むようにしています。


(ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「ホモ・デウス」)


(落合陽一氏の「デジタルネイチャー」)


 両書とも未来社会や、これからの働き方を考える上で、大変重要な事柄が示唆されていると感じています。
 「ホモ・デウス」は、現生人類のホモ・サピエンスが、人工知能との境界が曖昧になることで、自らをアップグレードさせる可能性を示したものです。世界では前著「サピエンス全史」の800万部に続き400万部が売れており、日本でも先月、ようやく和訳本が出版されました。
 「デジタルネイチャー」は、落合信彦氏の息子である気鋭のメディアアーティストである落合陽一氏による近著で今年6月に出版されました。

 いずれも鋭い洞察で近未来が描かれており、とりわけ「デジタルネイチャー」は現実的な内容のように感じられます。

 工時間単位で労働者をマネジメントする工業社会において、安定して生産を行える人間を育てるのが、近代以降に整備が進んだ画一的な学校教育だ。機械との協調が求められる大規模工場において、効率よく機能する人間を育てるために、様々な習慣が生まれた。この習慣を教え込む教育は、日本でも今なお根強く残っている。 
 例えば小学校では、朝礼で全員が並んで「前へならえ」をさせられる。これは工業製品の検品検査のようもので、配置が終わったら、声を合わせて挨拶をすることでクロックの同期を行い、時間感覚の狂いを矯正するためのものだ。ここで行われているのは、生産性の高い工業社会に人間を最適化するための処理である。
 (中略)
 タイムマネジメントの時代には、「ワーク」と「ライフ」を対比的に捉え、区別していた。しかし今後はワークとライフの境界がなくなり、すべての時間がワークであり、かつライフである「ワークアズライフ」になる。この時代では頭脳に対して、「ストレスフルな仕事」と「ストレスフルではない仕事」をどうバランスするかが重要だ。
 (中略)
 現行人類のコンピュータに対して優れている点は、リスクを取るほどに、モチベーションが上がるところだ。これは機械にはない人間だけの能力である。逆にリスクに怯え、チャレンジできない人間は機械と差別化できずに、やがてベーシックインカムの世界、ひいては、統計的再帰プロセスの世界に飲み込まれるだろう。
 (「デジタルネイチャー」落合陽一,PLANETS 2018 63-66頁)



 すでに政治行政や統治マネジメントの仕組みや、個々人の働き方にも、人工知能の発展により、変化が生じてきています。「人間の人間による人間のための政治」の時代は終わり、「人間のための政治」だけ残るのかもしれません。または、人間というものが、絶対的でなくなる「ホモデウス」の時代には、全く新しい政治行政のあり方や、働き方へと変貌していると思います。

 私自身は、こうした時代は、私が生きている時代に(というか、平成最後の年に生まれた子供が20歳を迎える頃には)訪れると思っており、それに合わせた学校教育・生涯学習のあり方や、働き方の見直しも、考慮されてしかるべきだと考えています。


フジイテツヤ

 


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