支所統廃合に関する雑感3

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 人間と人間ではない物体との違いは、なになのでしょう。ロボットにも心があれば人間なのか、または脳髄が移植された意識ある機械であっても単なる物体なのでしょうか。


 私の息子がビデオに撮って楽しみにしているテレビ番組に、「仮面ライダー ゴースト」があります。その主題歌には、「われ思う故に われ在り」というフレーズがあります。

 結局のところ、私たちが、みんなそう思うから、私たちはそう思うだけで、実際はその実体、実存は虚構であることも多いような気がします。 
 例えば、ビットコインはブロックチェーンによって信用(credit)が形成されて、みんなが価値あるものだと思うから、価値あるものとして存在しているだけで、実体は単なるデータです。これは貨幣にも言えることで、単なる紙切れをみんなが、価値あるものだと認識しているからこそ、貨幣でパンもスープも買う事ができるはずです。
 国家や地方公共団体なども同じで、ベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体」として、国家などの存在を造られたものだとしました。世の中のみんなが、行政に対して社会的契約の下で権限を付与しているからこそ、政府や地方自治体も存在するわけだと思います。

 私は、政治活動を8年程やってきて、ひとつの懐疑を抱いています。
 「行政改革」というのは、本当に改革なのだろうかと。


 「行政改革」に、世の中の人はどのようなイメージや、共通認識を持っているのでしょうか。
 なかなか定義づけするのが難しいのかもしれませんが、政治思想の背景としては、やはりジョン・ロックに起因する自由主義があるのだと思います。つまり、個人の生命財産は自分のものであり侵されるものではない、だから公共が果たすべき役割というのは、できるだけ小さくあるべきで、税金も少なく、その分、公共サービスの量も少なくというものです。
 これに対して、リベラリズムは、社会保障が重要で、誰もが安心して過ごすことができるように、国民皆保険制度の確立や医療体制の充実などを公共が担うべきというものだと思っています。
 この自由主義とリベラリズムの軸があるとするならば、「行政改革」というのは、どちらかと言えば、自由主義に近づくことが、行政改革なのだと思われているように感じます。つまり、公務員数・給与を削り、行政コストを削減し、できるものは民間に委譲していくという、いわゆる「小さい政府志向」です。


 この共通認識としての「行政改革」は果たして、ほんとうに「行政改革」なのか?と最近、強く疑念を抱きつつあります。いま、世の中では「小さい政府志向」であることが「行政改革」と思われているだけであり、ほんとうの「行政改革」はこれであっているのだろうかと思う訳です。

 支所統廃合の議論も、結局のところ、「行政改革」の枠内で、検討が展開しています。
 私自身は、どちらかと言えば「小さい政府」は嫌いではありません。しかし、行政はなにのために存在しているのかという自問をするなかで、やはり弱者のためにあるのだと思う訳です。志向としては「大きい政府」なのかもしれません。いや、政府(行政)に頼らなくとも、本来はコミュニティ・地域の中で、公共的なものを担うことができるのであれば、「小さい政府」を実現しながらも、「大きい政府」で提供できる、善良な生活をひとりひとりが享受できるようになるのではないかと思うところです。

 
 大津市行政が進めようとしている支所統廃合の検討や議論にあって、大変な違和感を覚えるのは、行政改革をすすめるために、市民に負担を強いて(あまり地域やコミュニティのことは検討されずに)いることです。
 本当は、コミュニティ(地域の公共性)がそれなりに育っていくことによって、自然と公共サービスの必要性がなくなってくるように感じられるような状態が、ふさわしいあり方だと思うのですが、いまの越直美さんの考えは、そうした姿勢ではありません。

 
 「あとは野となれ 山となれ」

 行政サービスの撤退による代替サービスの検討というのは、一見、住民に寄り添った考え方に見えますが、実際はコミュニティや地域の公共性の発展につながるかは別で、あとから振り返ると「下半身から下は生命維持装置」だったと評価されるのではないかと強く感じます。


 人間か?ロボットか?または生きてる機械か?
 この線引きが難しくなる50年後、100年後、大津市では、まちづくりの材料である各地域の文化やコミュニティは残っているのか。文化というものも、ほんとうは虚構でありますが、それを成立させているのは、そこに住む人、その地域を愛する人が、それを「文化」と思えているかどうかだと思います。
 コミュニティの終わりの始まりが、支所の統廃合にならないように、新しい時代のコミュニティ意識の醸成こそが優先されるべきだと、わたしは思っています。単に支所統廃合に反対しているわけではないとご理解頂ければ嬉しいです。


フジイテツヤ




 

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