坂の上の雲。

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こんにちは!
大津市議会議員の藤井哲也 です。

滋賀県は今年のNHK大河ドラマ「江」の舞台となった土地であります。
「江」は湖を指す言葉で、滋賀県のかつての名は「近江」(おうみ・ちかつうみ)であります。
北近江小谷の浅井長政とお市の間に生まれたお江の一生でした。

随所に滋賀県が登場していました。
滋賀県長浜の賤ヶ岳で行われた戦いも湖北が舞台で、安土は言うに及ばずです。
関ヶ原の戦いにおいても毛利元康、立花宗茂、小早川秀包以下1万5千人が京極高次の寝返りによって3000人が守る大津城で8日間足止めされた結果、関ヶ原に1日~2日遅れたことも西軍の隠れた敗因でありました。

滋賀は交通の要衝で、京都より東に向かう東海道、中山道、北国路、伊勢路はすべて滋賀県を通ります。
東海道が橋上を通る、瀬田川(下流は大阪を流れる淀川と呼ばれます)にかかる の唐橋(大津市)は古来より、多くの争奪戦が繰り広げられました。


そうした大河ドラマが終わり、どれだけの経済効果が大津市にあったのかは今後調査されると思うのですが、あまり経済波及効果はなかったように思います。
あまりPRもしていない印象を受けます。本当にもったいない。
先の議会でも他議員が述べておられましたが、大津市には織田信長築城の「坂本城」、豊臣秀吉築城の「大津城」、徳川家康築城の「膳所城」がありましたが、いまはどれも残存していません。
戦国時代の英雄3人がつくった城跡は残っているので観光に大いにいかせられると思うのですが。

それはさておき、現在、3年またぎで「坂の上の雲」が放映されています。
本日は「203高地」であります。
楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。
のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

のナレーションで始まるこのドラマはようやく本年でエンディングを迎えます。

「203高地」は旅順艦隊への砲撃と旅順口監視のため攻略を図った地点でたった10日間で5千人を超える死者と1万人を超える死傷者を出しました。旅順攻囲戦全体では6万人の死傷者が出たそうです。

当時の世界情勢は、列強の一角ロシア帝国が不凍港を求めて南下し、日清戦争勝利による下関条約で日本が得た遼東半島(旅順、大連が主要都市)を清へ返還するよう干渉した。
臥薪嘗胆の思い強く、ロシアに中国・朝鮮半島ののどもとであり大陸進出の機会を喪失するだけではなく、海を与えることによる日本本土そのものへの危機感から対ロシアへの戦意を高めていました。


(ロシア側から見た遼東半島と日本の位置。総務省データより編集)


戦わなければ植民地か清国のような租界支配が待っていることは明白で、日本としては自主独立を守るためには、なんとしても勝たねばならない戦いだったはずです。
それこそが1867年~1868年の維新の目的だったはずです。


多くの英霊が日本の未来のために亡くなりました。
それは自分自身のためではなく、日本の家族のためであり、未来の日本人のためでもあったと私は思います。
それから100年後の現代、私はそうした先人たちの思いを胸に、日本のため、未来のために活動しなければならないと強く感じているこのごろです。

坂の上の白い雲の中にいる現在の日本。
まずは日本はなにがしたいのか?それを明確にすべきと思います。日本は何をしたい国なのか?
ビジョンを示す政治家(リーダー)を生み出さねばならないと私は思います。



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