足の手術から4か月。

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 中学校と高校の時、バスケ部に所属していました。
 その際、二度ひざの半月板の手術を行いました。
 
 20年の月日を経て、今年3月上旬に再びひざを痛め、精密検査などを受けた後、3月30日に2時間半程度の間接鏡による半月板縫合手術を行い成功いたしました。
 昔の技術では「半月板切除」しか選択肢がなく、(再生することがない)貴重な半月板が削られるしかありませんでしたが、現在ではケースによっては「半月板縫合」で半月板を回復させることができるようになっています。
 下半身麻酔で意識もあったため、実際に私自身も膝の内部を映すモニターを見ることができましたが、現在の医学は大変な進歩だと思いました。反面、「開けてみなければ分からない」という表現もあながち嘘ではないと感じました。高いお金を出して実施したMRIでも、実際に写真ではどの程度、半月板が損傷しているのかが分からず、医者の先生も実際に「開けてみなければ処置方法が決められない」と仰っていました。

 半月板縫合手術は、患部の固定期間が切除手術に比べて長く、私の場合は約20日間、添え木で足を固定しました。本来はもっと長期間入院していればよかったのですが、公共政策大学院の入学式や履修登録をする必要があり、3日間だけの入院で退院したのが尾をひいたのかもしれません。この間、4月下旬に地元の「鯉のぼり祭り 真野」のイベント実行委員長を仰せつかったにも関わらず、ほとんど動けず、重いものも持てず大変ご迷惑をおかけしました。
 また添え木で足を固定している期間が長いため、足の筋肉が完全に硬直して曲げ伸ばしができなくなっていました。懸命にリハビリは続けていたものの1か月たってようやく松葉杖を2本から1本に減らし、車の運転を再開することができた感じで、5月中旬に行われた「大津っこ祭り」では、大津JCの担当委員長としてイベント運営に携わらせて頂きましたが、ここでも他のJCメンバーに多大なご迷惑をおかけしてしまったと思います。
 その後は6月議会があり、そして大津JCの本年度の全体事業である「地域愛醸成ムービーづくり」も進められました。多くの方にご迷惑をおかけしながら、なんとか手術から4か月が経過しました。

 現在の足の状態は、懸命に続けているリハビリにより、徐々に回復をしてきており、足の曲げ伸ばしもかなりできるようになってきました。ただまだ走ったり、重い負荷をかけたり、または長時間たっているのがきつい状態です。
 そうした事情から、3月から(実質的には1月末の市長選挙が終わってから)ほとんど駅立ちができておらず、堅田や小野などの駅利用者の皆様の中には不審に思われている方もいるかもしれません。今しばらく回復をまって、あらためて再開をしていきたいと思います。
 そろそろ一つの区切りの時期としたいと思い、足の怪我のことを取り上げさせていただきました。


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 これまで何度か議会では、「交通バリアフリー」について取り上げさせて頂いています。
 最近では、JR湖西線各駅前広場のバリアフリー整備の推進です。
 唐崎駅や堅田駅の駅前広場で、松葉杖や車いすで移動される方の立場になって、現場を見た際、ちょっとした段差が非常にたくさんあり、こうした問題を専門コンサルティング会社の知見を得ることで、前向きに進捗させることができました。
 また、本年度が見直し期限となっている「大津市バリアフリー基本構想」について、全市的な展開を行政に促し、これも前向きな回答を得ることができました。
 
 これらの質問や取り組みは、私自身がもともと足膝が弱いことで関心を持ってきた問題でした。健常者と言っていいのか、何も障害がない方にとってはハードルに感じない段差や問題も、障害ある人にとってみれば、たった5センチの段差が果てしなく大きな段差に思えてしまうのを実感として持っています。その立場になってみなければ、分からない問題ではないかと思います。

 今回、半月板の怪我が再発し、順調に回復傾向にあるとはいえ、長期間の歩行困難な期間をあらためて体験することで、これまで以上にバリアフリー施策の推進に対する思いが高じています。年齢を重ね足腰が弱くなってきた方や、怪我をしてしまった方、又は障害がある方や、ベビーカーをひくお母さんだけではなく、誰しもが明日、歩行が困難となってバリアフリー環境を求める立場になるかもしれません。
 公共が果たすべき主要な役割の一つは、誰もが社会的弱者になりうることを想定した環境づくり、社会福祉政策です。
 
 議員として大津市の行政に物申すことができる立場にいますので、ジブンゴトとして必要な施策を提言していきたいと考えています。

松葉杖藤井
(5月9日の高島市役所への視察時の写真)


大津市議会議員 藤井哲也拝







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