一般質問解説③「旧堅田町・旧瀬田町・旧志賀町合併記念事業の検討」

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一般質問3項目は、「旧堅田町・旧瀬田町合併50周年&旧志賀町合併10周年記念事業の検討」についてです。

2017年は西暦667年に天智天皇(中大兄皇子)が現在の大津市錦織(大津京駅から徒歩5分程度)の近江大津宮に遷都して1350年目にあたる年でもあり、また大津市が市域を大きく拡大させた旧堅田町と旧瀬田町との合併から半年となる節目の年にもあたります。

大津市瀬田町堅田町合併調印(1967年)
大津市歴史博物館HPより


仕事柄、私の年齢(37歳)の倍以上生きておられる方ともよくお会いして、様々なお話を伺うことがあります。そうした方からは大津市堅田町合併(1967年)以前のことや、江若鉄道廃止(1969年)以前のことを伺うこともあります。

50周年の間に仰木・堅田・真野・伊香立・葛川には様々な変化があり、新しく仰木の里や真野北も誕生しました。駅沿線の堅田や真野は人口も増え、新しく開発された仰木の里や真野北も住みやすい整備された町が形成されました。一方、山手に位置する仰木や伊香立、葛川は人口が減少傾向にあり、特に葛川においてはこの30年程度で人口が1千人程度減り、現在の人口は260人、しかも高齢化率も非常に高いなど、地域コミュニティの維持が徐々に困難になりつつあります。

また同様に、来年2016年は旧志賀町が2006年に大津市に合併した年になります。
ちょうど大津市と旧志賀町地域の境目に住んでいることもあり、旧志賀町のことも大津市の施策においても注意して議員活動に取り組ませて頂いています。


今回、旧町合併記念事業の検討の必要性を取り上げたのは、今後50年、100年先のことを考え、改めて地域のアイデンティティを再発見し、地域の魅力を老若男女、年齢や新旧の住民を越えて共有できるキッカケになると考えたからです。そしてそうした取り組みを通じて、国単位で進められている「コンパクトシティ」の流れの中でも、子どもたちや私たち子育て世代が地域に愛着を持てるようにしていかなければならないと考えたからです。

単に利便性がよい町であれば、どうしても周辺地域から過疎化が進み、せっかくの貴重な歴史・文化・自然を持つ地域が失われ、記憶からも忘れられてしまいます。
利便性だけではなく、その地域の良さを改めて発見し、「この地域の歴史・文化・風土」に魅力を感じて住み続けたい、住んでみたいと思える人が増えていかねばと思います。

答弁では、「旧堅田町・旧瀬田町合併50周年及び旧志賀町合併10周年の記念事業もそれぞれの趣旨で意義あるものとは考えるところではございます。つきましては、今後、市民の皆様のお声や自主的な取組みの御提案等の動きには充分留意してまいりたいと考えております。」とありました。

もちろん地域住民の取り組み機運醸成なくして、大津市も動かない問題だと思います。
そうしたことから、私が住む旧堅田町域に関しては、関係する自治連合会や県市議会議員、各種団体や住民の皆様とともに、周年事業の実施に向けて大津市と共に検討を進めていけるように図っていきたいと考えています。
答弁書はこちら


大津市議会議員 藤井哲也拝



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