大津市真野について(6)~真野北~

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急に肌寒くなってきました。近年は秋を感じず夏からいきなり冬に移っていた感覚を持っていましたが今年はしっかりと秋を感じることができそうです。
本日と明日の2日間、議会常任委員会の視察で、山口県周南市に駅前まちづくりについて、北九州市に大橋通行料無料化後の道路網整備について伺います。後日、本ブログで報告を致します。

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真野普門地区の裏手に小高い山があります。「曼荼羅山(まんだらやま)」と言います。
なぜ曼荼羅山という名称になったのかは定かではありませんが、この120メートルの山には、前方後円墳・和邇大塚山古墳など数基の大きな古墳があります。
和邇氏は、2世紀頃に日本海側から畿内に進出した太陽信仰を持つ鍛冶集団とする説があり、6世紀頃には現在の天理市和邇地域を中心に中央豪族として、息長氏とともに天皇家に妃を供する家系として栄えてきました。(近江湖西に大津宮が置かれたのは、古代鍛冶集団がいたことや和邇氏・息長氏がいたことが関係するという説があります)

曼荼羅山金毘羅宮登り口

曼荼羅山の登り口には、大きな鳥居があります。
山頂付近に金毘羅宮があります。以前ブログにも書きましたように、真野普門地区は昔、水の利便が悪く、経済的にも豊かではなかったことから、西暦1814年、地域に縁があった探題(座主に次ぐ地位)前大僧正の豪恕上人が79歳の時にこの地域の発展を願い、水の神様、海運の神様である金毘羅宮を建てたことに始まります。

IMG_3391 金毘羅宮200周年
(左:豪恕上人直筆の碑、右:2014年の普門金毘羅社創建200年記念大祭)


曼荼羅山の山頂付近からは、通称ローズタウンと呼ぶ、閑静な住宅街が一望することができます。

真野北学区(まんだら山から)

写真左上の方に見えるのが市立真野中学校で、真ん中ほどに真野北市民センターがあり、右真ん中あたりに真野北小学校があります。

此の地は、1970年頃から1986年にかけて京阪グループにより開発された住宅街です。
現在も真野学区にある「のぞみ住区」という一角は京阪グループによって開発が進められています。(のぞみ住区は真野学区にありますが、真野北小学校区に割り当てられています)

人口増加により1980年に小野小学校が創立され、1988年には堅田中学校から真野中学校が分離創立され(私の母校)、引き続いて1990年には真野北小学校が真野小学校から分離し創立されました。(真野北学区の設置が1994年ですので真野北小学校や中学校の方が早くにできています。)

昨年度(2014年)、真野北小学校生徒と自治連合会(会長:大澤光雄さん)の尽力により、真野北学区のシンボルである「真野北古墳公園」が完成しお披露目されました。

真野北古墳式典27年 真野北古墳藤井哲也27年
(真野北学区設立20周年記念式典事業の一つ、真野北古墳公園開所式)


真野北小学校敷地内のこの古墳は、曼荼羅山古墳群のひとつです。
真野北学区は比較的新しいニュータウンであり、古来から引き継がれてきたシンボリックな建造物やスポットは少なかったのですが、当該古墳公園は子どもたちがその設置に大きく貢献したという点からも、また学区創設20周年という節目の年にオープンしたことからも、今後は真野北学区の象徴となり、住民の皆様の拠りどころになっていってほしいと願っています。


なお、現在の真野北学区は開発前は山林であり、真野普門地区の田畑に豊富な自然湧水を供給してきましたが、開発により水が枯渇したことから、1974年から水利組合と京阪グループとで交渉が重ねられ、当時の大津市長・山田耕三郎氏と滋賀県知事・武村正義氏らの支援により、琵琶湖からポンプで真野普門地区まで逆水する施設が翌1975年に設置されました。

K0120027


真野北学区。
住みよさそうな街、住んでみたい街だなと、3か月に1度行っている、活動報告書ポスティングの最中、いつも感じています。


大津市議会議員 藤井哲也拝







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