大津シビックプライド・ウォーキング1日目(6)

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背筋が凍る感触というのはこういう時にいうのでしょうか。
弘文天皇陛下陵の前に、すごく荒れた雰囲気の鳥居と道がありました。


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何かがいる!という雰囲気です。かなり不気味です(といったら失礼ですが)。
恐る恐る足を前に踏み出していくと、前のほうに結構立派なお寺というか、神社のようなものが見えます。


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【新羅善神堂】
三井寺の中心伽藍から北へ500メートルほど離れた場所にある。
三井寺の鎮守神である新羅明神を祀る。「堂」と名が付くが、建築様式的には流造の神社本殿である。現存の建物は貞和3年(1347年)、足利尊氏の寄進によるもの。
新羅明神は、唐に留学した円珍が日本へ帰国する際、船中に現れた神とされ、円珍に伝えられた経法を永遠に守護することを誓った神であるという。円珍が請来した経典法具を三井寺に保管することになったのも新羅明神の夢告によるとされている。
1595年の秀吉による三井寺破却の際も、祟りを恐れてここだけ壊されなかったということで、三井寺では唯一といっていい戦国時代以前の建物。


三井寺の鎮守神である新羅明神を祀っているにしては、そこにいたる道の荒れ方は尋常ではありません。国宝があるにも関わらずほとんど門外不出であり、しかも三井寺の入り口でもらえるマップにも、大津駅でゲットした三井寺ロケーションマップにも記載がありません。

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甲斐源氏の祖でもある源頼義の三男・義光をこの神の前で元服させ、義光はそれ以来「新羅三郎」と呼ばれるようになったらしく、そのお墓も近くにあります。

この時点で15時30分。
本当はこのあたりで1日目を切り上げようと思っていたのですが、弘文天皇陛下陵の目の前にあるこの「新羅善神堂」を見たことで、古代の時代についてもう少し知りたく思い、すぐ近くにある「近江大津宮跡」と「近江神宮」にも足を延ばすことにしました。


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天智天皇は白村江の戦で唐・新羅連合に敗れ、国の守りを堅めるとともに、奈良仏教から離れるために志賀大津の地に都を構えました。これが近江大津宮です。
近年、ようやく近江大津宮があった場所が特定されつつあり、いくつかが保全されています。
平城京や平安京、また長岡京など古都がたくさんありますが、大津のように未だ整備が不十分なところはあるのでしょうか。もう少し近江大津宮があったということに市民もプライドを持てるように、せめてもう少し見栄えよくできないものかと思いました。


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近江神宮は比較的新しい神社です。
天智天皇陛下が漏刻(水時計)により日本で初めて時を知らせたという話があるため、「時計記念館」があったり、天智天皇陛下が百人一首の第1句目「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」に選定されたことにちなみ、競技かるたの聖地であり、現在連載中の末次由紀さんによる漫画「ちはやふる」でも主舞台として取り上げられていることもあり、人気スポットとなっています。


1日目はこのあたりで終わり、大津京駅に向かいたいと思います。
大津京駅着は17時半。


大津市議会議員 藤井哲也拝




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