大津シビックプライド・ウォーキング1日目(5)

ホームブログ>大津シビックプライド・ウォーキング1日目(5)



弘文天皇陛下陵に向かう前に、「びわ湖疏水」をとおります。



IMG_2284[1]

IMG_2288[1]

IMG_2283[1]

IMG_2292[1]


【びわ湖疏水】
京都市は禁門の変で市中の大半が焼け、明治維新と東京奠都に伴い人口が減少し産業も衰退したため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。

第1疏水は1885年(明治18年)に着工し、1890年(明治23年)に大津市三保ヶ崎から鴨川合流点までと、蹴上から分岐する疏水分線とが完成した。4月9日には明治天皇・昭憲皇太后の御臨幸を仰ぎ竣工式を挙行している。 第1疏水(大津-鴨川合流点間)と疏水分線の建設には総額125万円の費用を要し、その財源には産業基立金、京都府、国費、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税も充てられた。

また、水力発電は当初は計画されなかったが、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し1891年(明治24年)に運転が開始された。この電力を用いて、1895年(明治28年)には京都・伏見間で日本初となる電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった。
鴨川合流点から伏見堀詰の濠川までの鴨川運河は、1892年(明治25年)に着工し、1894年(明治27年)に完成した。

第2疏水は、第1疏水でまかないきれない電力需要に対応するとともに、新設する近代上水道のための水源として、京都市により「三大事業」の一つとして進められた。
1908年(明治41年)に着工され1912年(明治45年)に完成し、取水量は第1第2合わせて毎秒850立方尺 (23.65m3) となった。日本初の急速濾過式浄水場である蹴上浄水場はこの時に設置されている。
なお、疏水を掘り進める際に生じた砂は当時の滋賀県知事の許諾を得た上で、琵琶湖の埋め立てに用いられた(現在のびわこ競艇場の場所)
(wikipediaより引用)



IMG_2347[1]

IMG_2350[1]

IMG_2351[1]

滋賀県出身で衆議院議長を務めた西武グループ創始者である堤康二郎氏の銅像を通り、大津市役所を左手に北へ進みます。
大津市役所は著名な建築家である佐藤武夫氏の設計によります。現在は耐震補強が行われており外観が一部変わっていますが、基本的なしつらえはそのままです。
塔は天智天皇が日本で初めて時を知らせる漏刻(水時計)を行ったことにちなみ、水時計をモチーフにデザインされたものです。


さて弘文天皇陛下陵。
実は大津市役所の駐車場のすぐ裏にあったんですね。あらためて行ってみてわかりました。
こんなに近くにあるとは思っていませんでした。

IMG_2358[1]

IMG_2362[1]

IMG_2365[1]


ご存知の通り、弘文天皇陛下(大友皇子)は、壬申の乱で大海人皇子と争い、瀬田の唐橋での戦いに敗れ自害しました。しかしその子息はすべて生きながらえ、天武天皇の妻(持統天皇)が即位することで天智天皇系へ揺り戻し、その後 幾代か天武天皇系(親新羅派)が続きましたが、桓武天皇の父親である光仁天皇が即位することで、再び天智天皇系(親百済派)となり、現在にいたっています。


天智天武系統


元来た道を帰ろうとした矢先、どうしても目を離せない空間が目の前に広がっていました。


※1日目(6)へ続く。


大津市議会議員 藤井哲也拝






















▲ページのトップへ