4年間の振り返り。

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明日が、大津市議会議員選挙の公示日です。
早朝より、必勝祈願に皆さんと一緒に行ってきます。
全力を尽くしたいと思います。

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4年間を振り返ります。

【1年目】
 2011年5月1日、大津市議の立場を預かりました。
 そして「みんなの党大津」という1人会派を大津市議会に創りました。
 みんなの党の基本政策である「地域主権」「行政改革」「生活重視」に基づき、私の専門分野でもある経済対策、雇用政策、そして人事労務を中心に議会にて政策提案を行いました。

 特に、公務員の人事給与制度は、大津市に限らず非常に問題点が多くありました。
 ひとつは、「がんばりが処遇に反映されない」という点。
 ふたつめは、係長給与が課長給与を超えるということに象徴される「年功序列が色濃く残っている」点。
 みっつめは、「管理職がやたらに多い」という点です。

 まずは民間ではごく当たり前の「がんばりが処遇に反映される」ということを実現しなければ、誰もがんばらない、市民サービスが上がらないため、議会で人事制度の構造的な問題点を指摘し、提案を行いました。
 こうした問題提起が実を結ぶのは、議員活動3年目に入ってからです。最初の2年間は、いかに人事制度に問題が多いのか指摘し、市が言い訳を言うということが続きました。
 
 またツイッター等のソーシャルメディアが大津市では導入されていませんでした。2011年に日本を襲った大震災では、ツイッター等による情報拡散が、減災や危機対応において一定有効であると評価されました。そうしたこともあり、ツイッターやフェイスブックの活用を議会で提案しました。これも実現したのは議員活動3年目に入ってからとなりました。

 そして1年目の年明け、市長選挙があり越氏が新市長になりました。
 若い政治家であり期待半面、組織人としての経験不足は否めず不安半分でした。是々非々の姿勢を決め、現在に至るまで、良い提案については賛成し、ひどい提案については反対を貫いてきました。

 1年目。なにも政治について分からないまま、議員とならせて頂いたものの、今から振り返ってもそれほどズレた提案などはしていないように思います。党所属議員ではありましたが、しっかりと地域にも根差したいと思い、地元自治会や消防団活動にも取り組み始め、地域において交友関係を拡げる基礎を作ることができたと思います。

【2年目】
 越市長に変わって迎えた2年目。「小さい政府志向」「子育て政策重視」という考えは私と共通するものがあり、期待しながら迎えました。
 なったと思えばすぐに大津市にとっての重要課題が出てきました。
 ひとつは、2012年7月に転機を迎えた大津いじめ事件。
 ふたつめは、豊島の産廃土壌搬入問題。
 みっつめは、市長の組織マネジメントの危うさです。

 越市長は就任当初、いじめ事件に対して全面対決の姿勢でした。
 しかしこの問題が全国的な話題になるや方針転換を図り、調査機関を設置し、学校や市教委などの問題としました。ご遺族と大津市との和解は先日成立しましたが、今から振り返ると、確かに学校や教育委員会に問題があったことは確かでしたが、私は市長も就任後早期対応しなかった点において責任は大きいと思います。
 この問題については、私なりに考えるところがあり、「学校と地域、家庭との連携」を推進する必要性から、東京の杉並区に足を運び、「コミュニティスクール制度」に関する知識を深め、2012年12月議会で提案をしました。この提案が実を結び実現したのは、本年2015年4月からです。今後一層の地域と学校との連携が進むことを念じています。

 また豊島の土壌搬入問題については、搬出元の自治体の難しい判断により結果的に大津市に土壌搬入されることはありませんでしたが、市長の稚拙な対応に大きな不安を感じたところでした。

 また総務省から出向していたK副市長と二人三脚での市政運営に早くも黄色信号がともっていました。あらためて考え見ると、ひどく高圧的な立場で庁内マネジメントを行っていたと思われ、市役所内において市長の孤立化が深まっていきました。このK副市長は、のちにある筋の働きかけにより総務省へ戻ることになりますが、私はそれでよかったと思います。

 越市長に対する期待が失望に変わりつつあったのがこの2年目でした。
 
 私自身は、引き続き「公務員人事給与制度」に関する問題指摘を続けながら、たとえば「道路占用料減免廃止」や「公共施設の自販機設置を入札へ切り替え」、「民間電力会社の電気への切り替え」などを議会提案し、いずれもすぐに導入されることとなりました。年間2、3億円程度の新規財源になったと思います。
 
 年末には衆議院議員選挙が行われました。私が所属していた「みんなの党」は躍進しましたが、滋賀県から立候補した候補は残念な結果となってしましました。当時は党内関係も良好で、維新もまだ大阪限定であったので問題は顕在化していませんでした。

 地元活動としては、新たに「ミニ農業」を始めました。
 私が住む真野地域は、農業が主な産業です。当然、地域の皆さんの中には兼業も含め多くの方が農業に従事されています。実際にやってみなければ何も分かりません。全くの素人で虫を触るのも嫌でしたが、まずはやってみようということで農業に挑戦し始めました。農業は大きな雇用の受け皿としてのポテンシャルを秘めています。しかし机上の空論では意味がありません。どうすれば産業化に成功するのか、ビジネスモデルとして成り立つのかを考えながら農業に取り組みました。この頃、地域において農業振興サークルが創設され、私も仲間に入れて頂きました。

【3年目】
 1年目に提案した政策が実現し始めた3年目。
 ・大津市の公務員人事給与制度がリニューアル
 ・宿泊料の実費精算化などによる公務員手当の見直し
 ・道路占用料廃止等により年間数億円の財源創出
 ・コミュニティスクール制度の研究がスタート
 ・10年来の懸案であった不法投棄有害物質の完全除去
 ・ごみ置きケージの更新補助金の創設

 夏場に参議院選挙が行われました。
 私が所属していた「みんなの党」は滋賀県内では候補者擁立に至りませんでした。京都で立候補をした方の応援に駆けつけました。大阪維新の会が国政進出することに伴う党執行部の関係悪化が噂されましたがまだまだ深刻な状況ではありませんでした。今から思うと、この時に、みんなの党と大阪維新が対等合併して「みんなの維新」が生まれていれば、今の国政はかなり違った光景になっていたと思います。

 さて議会では、議会提案による「大津市子どものいじめの防止に関する条例」に基づき、いじめ対策が進められることになり予算審議等で議論を行いました。

 また私自身は生活産業常任委員会に所属していたこともあり、「ごみ処理施設の体制見直し」について集中的に取り組みました。
 従来の3か所(5炉)→2か所(4炉)へ変更する市長案の恣意的なコスト試算に対して、独自調査によりその問題点を指摘しました。
 またごみ処理の安定化のため、代案として「2か所5炉体制」を提案しました。議会内では大きな議論にはなりませんでしたが、その翌年の2014年にいきなり焼却炉が故障し大きな経済損失を大津市は被り、ごみの安定処理に大きな課題があることが顕在化しました。
 コスト的にはさほど4炉でも5炉でも変わらないにも関わらず、合理的な理由なく自分の考えを押しとおそうとする市長には愛想が尽きました。

 同時にK副市長も総務省へ戻りました。
 市役所内でも、市長と教育委員会との確執、市長とM副市長との確執がハッキリとしてきました。また、市職員による不祥事が横行し、主体的に不祥事対策に取り組まない市長に対して、私が全会派の賛同を取り付けて、「市長に主体的に不祥事対策に取り組むべし」とする決議が可決されたりしました。

 政策面においては、「中小企業振興条例(又は計画)」や「中小企業の雇用・設備投資の優遇税制」などの経済対策を提案しました。
 議員活動においても、また政治活動においても混沌とした1年間でした。

【4年目】
 大津市の教育長(民間出身)と、M副市長が市長との確執により辞任するという異常な事態で4年目が始まりました。教育現場の声を十分に聞かず、予算権限を盾に教育に対して自分の意見をごり押ししようとした市長に対して、教育長も副市長も反発したことが理由です。
 議会もこうしたプロセスを把握したことから、2015年度大津市当初予算に対して、慎重な意見が多数出ましたが、結果的には市長案は議決されました。(私は反対)
 結果的には、この教育予算はほとんど使われないまま1年が過ぎました。違う事業に予算を使うこともできたと思います。大津市にとっては力も思いもある教育長&副市長が辞任するという代償を負いました。
 私は市長に対して辞職を提案しましたが市長は固辞しました。後世からみてこの越市政は失われた4年間だったと揶揄されないように、同時代を生きる議員として責任を持って議員活動に取り組みたいと思います。

 夏。知事選挙があり、嘉田知事から三日月知事に変わりました。
 民主党出身ですが、私は悪い印象は持っていません。何度か時間を取って頂き話をする中で現実的であり、議論ができる方、若い感性を持っている方だと感じています。就任後の県政運営を見ても無難の一文字につきます。今後に期待したいと思います。
 さてその知事選挙をめぐって、私はみんなの党を離党しました。 
 直前にあった渡辺元代表によるおカネをめぐる問題に、嫌気がさしてもいましたが、それよりも知事選挙の推薦・支持をめぐる動きに全く納得ができず(党本部は中立の立場。みんなの党滋賀は自民候補支持)、というのが理由です。党は離党したもののみんなの党が掲げていた理念・政策には強い共感を覚えます。
 みんなの党の大部分が加入した維新の党の国会議員の皆さんから、入党のススメをたくさん頂きましたが、いまの時期は無所属議員としてがんばる意思をかためています。

 議会では、書ききれないほど多くの提案が実現または実現に向けて動き始めました。ベンチャー企業を育てるための起業のビジネスモデル認定制度は2年目に提案した政策ですが、これが4年目に実現しました。今後、大津市でも新しく起業をしようと言う方が増えていけば最高だと思います。
 また議会活性のため、「議決事件の追加」を議会運営委員会に提案しました。教育振興基本計画や福祉基本計画などは議決事件ではなく、つまり議会を通さなくても行政が勝手に決定できる計画となっています。私は二元代表制の下、大きな問題であると思い、こうした法定基本計画はすべて議決事件に加えるべきとの想いを持っています。本件は次期任期の課題です。

 最後に「まちづくり」に関して。
 行政改革や経済活性を主軸に活動を行ってきましたが、いくつかが波に乗ってきたこともあり、新たなテーマとして「まちづくり」にも取り組み始めています。私が住む大津北部では人口減少が急速に進みつつあります。都市機能を高め、地域の付加価値(ブランド)を高め、住みたいと思う人を増やしていかねばなりません。また子育て環境を維持し、子どもを産み育て、そして雇用も地域に作らねばなりません。総合的な視点からでしか「まちづくり」は実現しません。会社経営をやってきたからこそ持てる視点、若い世代だからこそ思いつく中長期的な視点、しっかりと地域活動を行ってきたからこそわかる地域住民の視点。そうした視点を大事に、今後も目標を持ち、ブレずに真面目に議員活動に励みたいと思っています。


大津市議会議員 藤井哲也拝




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