次代を生き抜く力。

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こんにちは。
大津市議会議員の藤井哲也です。

来年からはじまる第2次「大津市教育振興基本計画」の策定が、市長と教育委員からなる会議で進められています。昨日は市議会に初めて素案が示され、総務常任委員会と私が所属する教育厚生常任委員会の連合審査会において、事務局から報告を受けました。

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上図が素案の一部です。
様々な問題があると思いますが、私として最も重要だと感じるのは「方針1:次代を生き抜く力を育む学校教育」という部分です。まず「次代」とは何か?「生き抜く力」とは何か?をよくよく定義しなければ、言葉だけ浮いたものとなってしまいます。

事務局が言うには、「次代」は「子どもたちが大人になった時」であり、「生き抜く」とは「国の考えにもある“生きる”を強調したもの」であるとのことです。

子どもたちが大人になる時、具体的には5年~20年後は一体、どのような社会状況になっているのでしょうか。まずはそこから議論をしなければなりません。その上で、そうした時代を生き抜いていくためには、どのような力が必要になるのかをシッカリと定義していかねばならないはずです。基本計画だからと言って、「知(学力)・徳(心)・体(体力)」のような総花的な表現に落ち着くのは少なくとも議論を尽くした上です。

これまで策定会議は3回(各1時間、計3時間)行われてきましたが、とても十分な議論ができているとは思えません。以下、特に「次代を生き抜く力」に関連した発言を転載します。


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■第1回会議(5月13日)

【越市長】
大津市の教育の課題や、やっていかなくてはいけないことが、3つあると思っています。(中略)2つ目は生きる力をつける教育です。大津市でも文部科学省でも当然の方針として、生きる力をつける教育があるわけですが、生きる力というのは、いろいろな力がありますけれども、現在の教育でも基本なところはなされていると思いますが、足りていないのが英語だと思います。これは大津市だけではありませんが、生きる力をつけるための英語教育、今の子どもたちが大人になって、よりグローバル社会が進む中で、いろんな仕事をしていく上でも英語を使うということが、より避けられない。また、より英語が使えれば、海外でも活躍する場が増え、それを日本にも反映させることができるということで英語教育が重要だと思います。


■第2回会議(6月19日)

【越市長】
生きる力というのが何かと考えていくと、子どもの時は保護者のもとで生きていますけども、大人になったときに、しっかりと1人の大人として個人として生きていく力があるということは、当然、食べていく力であり、それは稼いだり、働いたりということで、自立していく力というのは、やはり学校でも、最も身につけていかないといけない力なのかなと思っています。そういった中でも、私はやはり、それぞれの個人が子どもであっても、自分自身でどういうふうに生きていくかということを、選択できるということが重要なのかなと思っています。学校でこういう大人になれということではなくて、一人ひとりが自立した大人として、生きて、稼いで、食べていくために何をしていくかということを、自分で選択ができ、自分で考えて、更にそれを主張したり、議論をしたりする力を、それぞれつけていくことが重要なのかなと思っています。
今の国際社会の中で求められている力として、英語というお話を前回もお話させていただきましたが、今後将来的にも求められているところであり、また今の教育に欠けているところだと思います。そういう中で、私自信の経験として、海外で暮らしてみたときに、私自身、日本についてなり、自分の考えについてなり、話すことがないと思ったことは一度もないですし、周りの日本人を見ていても、話すことがないから困っているという人を見たことはないです。ただ、やっぱり苦労しているのは、話せないから自分の思っていることがあるのに、伝えられないからだと思います。日本で議論しているときに、何を話すかが重要だという議論もあるのですけれども、今の日本人は十分にその力は持っているし、そこについては今の教育は、しっかりされていると思っています。数学や国語等などついても、圧倒的に日本人は海外でも優秀だと思います。欠けている所として、海外に行ったときに思っていることはあるけれども、それを伝えられないというところは今の壁だと思っていますので、そういった意味で、生きる力の中の英語教育は必要なのではないかと思っています。

【桶谷教育委員】
学校教育の中で、生きる力というのがあって、そこには学力の問題、心の問題、体の問題というところで、生きる力とはどういったものかということが、しっかり明記されています。

【日渡教育委員】
生きる力という言葉が再三でているんですけれども、生きる力という言葉は、10年スパンで出される学習指導要領のテーマにすぎないんです。私たち教育委員会が求めている、絶対的な目標ではないんですね。これが23年から33年のテーマですので、34年には新たなテーマが出るんですけれども、このテーマは来年確定します。しっかり物事を見ていきますと、来年テーマが決まった上で、33年までの学校現場で生きる力ということを意識するんですが、問題なのは、生きる力が何なのか学校が理解していないということが一番大きいんですけれども、生きる力というときには、ディテールをしっかりするとか、骨組みをしっかり書かないと浮いてしまうんですね。教育の世界というのは、教育基本法の中に目標がしっかりと書いてあるんですよ。それを具現化するために、学校教育法の中で、学校ではとか自治体ではという目標をレベル調整しながら書くんですけれども、それを教育基本法レベルで書きましょうとか、学校基本法レベル、あるいは学校レベルで書いてしまうと全体がわけがわからなくなってしまうので、レベル調整を是非お願いしたい。
それで前回のフリートークの中でレベル調整をしていくと、生きる力というのが学校教育では33年まで大目標なんですけれども、ここでしっかりと説明できるように書かないと、生きる力という言葉だけではとんでしまっているんですね。そのために、私自身はハードとソフトがあると思うんです。生きる力という概念がしっかりすると、どのような仕組みで作ろうかといった時に、そこには学校というハードと地域というハードがあるわけです。では学校は、といった時に、教える教員の問題と学校という組織の問題がある。では学校の教員については、人材の育成とか資質の問題がある。学校については、組織をどうやって充実させればいいかということで、整理がついていかない気がするんですね。
一方、もっと重要なソフト、これは教育の中身とかあり方かもわかりませんが、そうなってくると、私たちは生きる力というのを定義したうえで、学校教育とか社会教育の中でどのように、どの場面で具現化しようかといったときに、再三話題になってきている、英語というのはこの部分だということを意識しないと、英語がボンと出てくるとか、何かが出てくるような議論をしていると、わからなくなりますので、ソフトの中の英語なんだと、ではなぜ他の教科は書かないのかといったときに、法律を見ていくと、それは学校に課せられた、市町村に課せられた問題ですので、英語を書くのなら、社会も国語も書こうという話にはならないんですね。それは、生きる力の大きな要素の中に英語が入っているんだということを意識しないと、英語だけ抜いたような気持ちになりますので、そういう錯覚に陥らないように整理をしていただきたい。今、やってもらっているのがうまくいけば、ファシリテーショングラフィックというんですけれども、言ったのを並べるのではなくて、これとこれが、どうつながっているんだということを書いていくと、話がしやすいですので。

【本郷教育委員会委員長】
生きる力って大きなテーマですよね。全て含むような項目になっていて、心の問題も体の問題も、もちろん、生きる力として必要なものですし、英語を中心としたコミュニケーション能力の育成というのも、生きる力に結びつくかと思うんですけれども、実は17日に小学校に学校訪問させて頂いたときに、その当日の欠席者が7名だったんです。全校生徒709名ですので99%以上の出席率だった。すごいなと思って、詳しく聞いてみると、全欠している子が去年は3名だったけれども、今年は2名に減った。1人だけ4月から来るようになって、あとの2名は難しかったということですが、その子を含めても、心が悪くても体が悪くても欠席するわけですから、予防教育とかも含めた体を作ることには、非常に長けた学校なんだなと。もちろん、いじめもあれば不登校につながりますから、当然、出席率に響いてくるものだし、それは学校としての評価を与えてあげられる指標になるかなと、よく頑張ってくれているなと、あまりの少なさに感動したんですけれども、そういうふうな、精神的な取り組みをしてくれているところ、うまくいっているところ、もちろん地域によっては、うまくいかないところはあるんですけれども、取り組みとして、生きる力を持ってもらうには、出席率だけでも、心の問題と体の問題を総括できるかなと思うので、アンケート項目の中に今年は何日休みましたかというようなことが入れていければ、それは学校としても取り組み、教育委員会としての取り組みに結びつくのかなということを思いました。

【日渡教育委員】
私は生きる力を目標にする必要ないと思っているんですね。なぜかといったら、そもそも教育の目標は2つあって、1つは人格の完成と書いてますね、あと1つは国民および市民作りと書いてあるんですね。国が責任をもつのは、日本全体に投網を投げるように国としての役割のことを言っているんですね。だから生きる力と言っているんですけれども、私たちはそれに対して大津の市民作りというのも大きな目標があるわけなんですね。だから、大津の基本計画の中には、今までは100%国が作った言葉だけで教育を構成していたけれども、少し大津の面積を拡げて、せめて30%くらいは大津のことを書けるような基本計画になってくるといいのかなと。

【桶谷教育委員】
かつて、知・徳・体といわれたことが、今は生きる力ということで置き換わっているわけですね。今おっしゃったように、教育基本法等に書かれていませんので、そういう意味で大津独自のものを出していくというのも、1つの方法でしょうね。そのために我々は、どういう役割があるのかを考えていく必要があると思います。


■第3回会議(8月19日)

【本郷教育委員会委員長】
第1期計画の「目指すべき人間像・教育の姿」の言葉は、その都度変えてきていましたか?私は、この言葉は、これから5年間の子どもたちが目指す理想の姿なので、そんなに表現は変わらないのかなと思います。今回の計画でポイントとなるのは、“次代を生き抜く”という言葉であり、これを活かすと、“夢と志をもち、変容する時代の中で心豊かにたくましく生き抜く子ども”としての表現ではどうでしょうか。そのサブタイトルとしては、あまりネガティブワードは使いたくないので、先日、市長からご提案のあった“感受性を受け入れる”ということや“英語教育の重視”など9の意味を込めて、“グローバル社会のニーズに対応できる子ども”というような表現にしてはどうなのかなと思います。
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市長が「生きる力」の必要性を述べ、特にグローバル社会の進展により英語の重要性が増すため、「生きる力」の中に英語教育の充実を含めることや、「生きて、稼いで、食べていくために何をしていくかということを、自分で選択ができ、自分で考えて、更にそれを主張したり、議論をしたりする力」を提起し、各教育委員が熱心に意見を述べられていますが、とても子どもたちが大人になった時の社会情勢を想定した、的を得た議論ではないように思われます。
日渡委員が「生きる力というときには、ディテールをしっかりするとか、骨組みをしっかり書かないと浮いてしまう」と述べられていますが、これは重要な発言であり私も同感です。

何が「次代(5年~20年後)に生き抜くために必要な力」なのかを、議論し尽くし、骨組みを考えていかねばなりません。

しかしそうした議論はなされるのでしょうか。今後、原案作成までに会議は3回の研修会を挟んで、実質的に2回しか開かれません。こんなに“ざっくりとした議論”で、今後5年間の 子どもの教育に係る基本計画が定められて言い訳がありません。時間をかければイイという問題ではありませんが、少なくとも議論にかけている時間が少なすぎます。

例えば大津市議会が策定した条例などがあります。いじめ対策条例では1日2時間程度の会議を20回近く開催し、細かな文言一つ一つを協議しました。現在 制定に向けて検討している「議会基本条例」や「災害等対策基本条例」についても2時間の会議を10回程度重ねて、議論を深めています。そうした実体験からして、たった1時間の会議を5、6回重ねて決定するのは、無責任にもほどがあるように思います。

しかも今回の基本計画は、第三者機関(附属機関)による答申がなく、市長が教育委員会を巻き込んで、勝手に作っている計画です。法的には問題がないのかもしれませんが、市長の任期(~2016年1月)をまたいだ計画期間(2015年4月~2020年3月)が予定されており、もし市長が変わっても拘束性が残る基本計画となります。
実効性の観点から、また子どもに与える影響を考慮して、議会による議決事件に加えるか、附属機関による審議に付すかをしなければならないと考えます。市長の勝手な思い込みによって、多くの子どもたちが迷惑するようなことがあってはなりません。さらには現在、大津市の教育長が不在です。ありえない事態です。


計画の審議が不十分であること、そして審議のあり方や実効性の観点から、今回の教育振興基本計画は大いに問題があると感じています。




大津市議会議員 藤井哲也拝








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